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「命の大切さを伝えたい」精肉店の跡継ぎ娘が松阪牛の一頭買いにこだわる理由

2020.2.24

田中精肉店は昭和30年に創業した三重県津市一志町にある精肉店。精肉した松阪牛・黒毛和牛・豚肉・鶏肉や総菜の店頭販売、卸売業を行っている。近年は、跡継ぎとなる田中えり子さんを中心に、新規事業を展開。デリカブランドの立ち上げ、マルシェなどのイベント出店のほか、クラウドファンディングを活用し、生産者から松阪牛を一頭買いするなど、新しい試みが注目を集めている。今回は後継者である田中えり子さんに創業秘話や店のこだわり、後継者としてのあゆみを伺った。

田中精肉店のこだわり

松阪牛で有名な三重県。田中精肉店のこだわりは、扱っている牛肉にある。一見ごく普通の精肉店に見えるが、店で扱う牛肉は黒毛和牛のA4ランク以上の未経産のメス牛に限定している。それ以外の国産牛や外国産牛肉は一切扱わない。ちなみに、和牛と国産牛には大きな違いがあるのをご存じだろうか。

●和牛:日本で独自に交配された「黒毛和種(黒毛和牛)」「褐毛和種」「無角和種」「日本短角種」の4品種の純血個体のみを指す。牛の品種を表す。

●国産牛:日本で一定期間肥育された牛のこと。海外で生まれた牛でも、日本での肥育期間が長いと国産牛となる。乳牛(ホルスタイン)も含まれる。牛の産地を表す。

田中精肉店で扱う牛肉は、たとえ小間切れであっても、黒毛和牛のA4ランク以上。 

しかし、高級路線の店というわけではない。「普段使いの小間切れからステーキ・すき焼き肉まで、どれも美味しく食べてもらいたいなと思ってます」とえり子さんは語る。

田中精肉店の創業秘話

田中精肉店は昭和30年に、えり子さんの祖父、田中昭夫(てるお)さんが創業した。昭夫さんは精肉店を始める以前、家畜用の牛の仲買人をしていた。当時、農家では、トラクターの代わりに農耕用の牛が飼育されていた。昭夫さんは繁殖地から買い付けた牛を農家に売る仕事を担っていた。昭夫さんが、牛を買い付けに行っていたのは、子牛の一大繁殖地である和歌山県。紀州の牛は人懐っこくて賢く、農耕用として人気があった。農耕用として人気が高かった但馬系統と呼ばれる牛は、食用としてもおいしいことがわかり、三重県でも肥やして食べられるようになった。それが松阪牛の始まりである。

昭夫さんが現在の場所に店を構えたのは、昭和30年。22歳のころだった。昭夫さんの兄が松阪牛の飼育を始めたことを機に、兄が育てた牛の肉を販売するための店舗を構えた。当時は精肉店と牛乳配達の2つで生計を立てたという。

2009年に、昭夫さんは田中精肉店を現在の店主である一志さん(えりこさんの父)に引き継いだ。一志さんは店舗運営にITを導入。自社サイトを作成して広報にも力を入れた。近所で親族が焼肉店を始めた際は、昼は精肉店、夜は焼肉屋の厨房と二足のわらじで休む間もなく働いた。焼肉や豚しゃぶ用の肉を定番メニュー化するなど、現在も一志さんは創業時の昭夫さんの思いを大事にしながら、地域のお客さんにおいしいお肉を提供し続けている。

田中精肉店跡継ぎ娘 えり子さんのあゆみ

一志さんの跡を継ぐのは、長女のえり子さん。幼少期は、店で接客をする祖母を手伝うのが好きだった。だが、跡を継ぐという意識はなく、女の子という理由からか、周囲も跡を継ぐように勧めなかったという。高校卒業後は介護の仕事に就いた。

転機は19歳のころ。大好きな祖母が足が痛め、店に立つことが難しくなった。「お店を手伝ってほしい」という祖母の気持ちにこたえる形で田中精肉店の仕事を始めた。しかし、順調に仕事を覚えていくものの、辞めたい、という気持ちが日に日に増していった。「20代前半ということもあって、私にはまだ他に自分の道があるんじゃないかと思っていました。仕事を覚えても、何につながってるのかよくわからない。肉屋で働いていることも恥ずかしいというか…、周りに食品関係の仕事とぼやかしたこともありましたね」と当時を振り返る。このまま田中精肉店で仕事をし続けることに疑問を感じたえりこさんは、仕事を辞めてどこか遠くに行きたいという気持ちと、跡を継いで祖母や父に親孝行したいという気持ちのはざまで葛藤していた。

そんな中、妹の留学先のイタリアを訪問したことで、えり子さんの気持ちは大きく変わった。「イタリアで自由に暮らす人たちをいっぱい見ました。それまではみんなと一緒じゃないといけないと思っていたのですが、人と違っていても良いんだと…。今の環境を抜け出すことよりも、受け入れてみることで、自分にしかできない仕事ができるかなと思いました」と振り返る。イタリア滞在中に、店を継ぐ決心がついた。帰りの飛行機の中で、後継者として何をすべきかを考え、専門学校で経営を学ぶことも決めた。24歳で大阪の専門学校に入学し、経営について2年間学んだ。その後、さらに広い世界を知るためにフィジーへ語学留学。ワーキングホリデーとして1年間をオーストラリアで過ごした。勉強のために現地の肉屋でも働くなど、全力投球した。

27歳で田中精肉店に戻り、父から仕事を教わりながら、自分の役割を広げていった。若い世代向けの贈答品『おにくケーキ』の商品化、デリカブランドの立ち上げ、企業とのコラボなど、新しいことに積極的に挑戦している。また、食肉に関する知識を学びお肉検定を受験。無事合格し、お肉博士として、食肉に関する情報を発信している。現在は、一頭買いによる松阪牛の仕入れに始まり、加工、販売、広報、経理、営業、配達、総務、採用など一手に担う。「一頭買いを始めた時からSNSでの広報に力を入れています。仕事のことがいつも頭の中にありますね」と忙しい毎日を送る。

クラウドファンディングを通して松阪牛の一頭買いに挑戦

2019年にえり子さんは生産者から松阪牛の一頭買いを行った。一頭買いとは牛を一頭ごと直接買い付けることで、かつては田中精肉店でも行っていた仕入れ方法。1960年ごろまでは、精肉店は生体で牛を購入し、と畜場に運ぶという生体取引が主流だった。しかし、現在は生産者が牛をと畜場に連れていき、と畜後の枝肉が卸売業者の間でせりにかけられる枝肉取引が主流。最近では、専門の卸売業者のほか、農協やハム・ソーセージメーカー、商社などが食肉卸売業に参入している。

田中精肉店でも先代の昭夫さんの引退に伴い、昔ながらの一頭買いから卸売業者からのパーツ買い(部分仕入れ)へと移行。精肉店の加工技術がなくても、細かく切り分けられたパーツごとで仕入れできるようになった。便利である一方で、もともとは命あるものということが見えづらくなっている、とえり子さんは指摘する。「以前子牛のセリを見に行った時、牛たちの可愛らしさに心を奪われました。同時に、人間が食べなかったら、この子たちは生き続けられるのに…、とかわいそうで、自分がさばかなかったら良いのかなって、と心が苦しくなったこともあります。今まで商品にするために無心でお肉をさばいていたことについて、反省もしました。それでも、肉屋としての仕事を続けたいと思いました。だったら、牛に対して誠意を持てるように、パーツで仕入れるのではなく一頭買いをして、責任もって売ろうと思いました」。

地元の生産者である竹内牧場に直接買い付けを交渉したところ、快く受け入れてくれた。さらに、クラウドファンディングで「『お肉博士』の三代目跡継ぎ娘が松阪牛一頭買いの復活に挑む!」というプロジェクトを立ち上げ、賛同者を募った。肉屋の跡継ぎ娘が松阪牛の一頭買いに挑戦する、という異彩なプロジェクトは地元の新聞やラジオでも取り上げられ、約1か月間で112人から1,088,000円の資金を集めた。

竹内牧場で愛情深く育てられた松阪牛の「みゆこ」を買い付ける様子や、松阪食肉公社へ出荷し、と畜に至るまでのセンシティブな内容もブログでレポートした。こうしたえり子さんの活動は、消費者・生産者という垣根を越えて共感を集めている。消費者に見えづらくなっている食肉業界の現状を伝えるべく、えり子さんは、思いを込めて情報発信している。

命の大切さを伝えるために

一頭買いした牛を精肉するには技術も力も必要だ。最後まで売り切らねばという責任も伴う。だが、えり子さんはこれからも一頭買いを続けたいと語ってくれた。

「既存の流通ルートにいると、命=商品として見られがちです。自分たちの都合でいただいた命なのに、非常に残念なことだなと思います。今まではお客さんファーストのお店でしたが、これからは『牛ファースト』を掲げたいですね。1頭を引き受けて最後までしっかり売り切る、そのために必要な技術や売り方を培っていきたいです」。

今後は、一頭買いのストーリーや生産者の思いを伝える活動にも力を入れたいと語ってくれた。

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