「街の牛乳屋」から 「健康習慣パートナー」としての「総合ヘルスケアカンパニー」へ

瀬戸内海に臨む広島県三原市。ここには、「街の牛乳屋」から「総合ヘルスケアカンパニー」 へと、イノベーションを起こそうとしている家業後継者がいます。乳製品の家庭配達に取り 組む株式会社共仕販で常務取締役を務める奥田浩之さんです。

瀬戸内・山陽エリアに「健康」を届ける

株式会社共仕販は、奥田さんの祖父が1955 年に食料品の2 次卸問屋を個人創業したことが始まりで、1963 年に会社設立、1994 年から森永特約店として家庭配達をしています。広島県三原市を拠点に、広島県南西部から岡山県南西部までの家庭に宅配。お客様からは、「骨密度の検査が良かった」、「便秘がよくなりました」といった声をもらっています。

ワタミを辞め、地元三原市へ

奥田さんは、高校まで地元三原市で過ごし、大学は関西へ。卒業後はワタミ株式会社に入社し、横浜市内の店舗にて店長などを務めます。3年間働いた後、ワタミを退職。地元三原に戻り、次のことを考えようかと思っていたが「配達員が足りないから手伝え」の一言で家業を手伝うように。

「働き方改革」を通じて、持続可能な宅配事業へ

入社後、自らも配達に回ります。当時は深夜2時から夕方18 時の時間帯で週6 日配達するというスケジュール。「牛乳配達の為に生きている」という感覚だったと奥田さん。宅配スタッフも自分自身もこのままではもたない、と配達時間を日中の時間帯に変更し、配達する曜日も減らし、現在では、週4 日としています。「他社では、お客さん離れを恐れてなかなか取り組めない事がよくできたなあ」と当時を振り返ります。

また、営業エリアと拠点の改変にも取り組みます。宅配を効率的かつ持続可能にしていく為に、配達エリアの縮小とそれに伴い営業所の設置場所も改変しました。現在いるスタッフは奥田さん自身が採用活動を行い、現在では宅配スタッフ20 名を含めて27 名で事業を行っています。

これらの今でいう「働き方改革」によって、配達が週6 日であった際は実施できなかったスタッフでのミィーテングも行えるようになっています。

「家業イノベーションラボ」で自社の強みと課題と向き合う

これらの取り組みを行った後、「健康ブーム」など外部環境に左右されない事業にしていきたいと、新規事業を模索していきます。その中で、家業後継者が集い、研鑽する「家業イノベーション・ラボ」に参加。自社のイノベーションのあり方を考えます。

自社の事業や強みをラボでの伴走役である地域コーディネーターと振り返る中、改めて注目したのは、契約を続けてくださっているお客様の声。継続しているお客様からは「今年はインフルエンザにかかりませんでした」、「花粉症が良くなりました」などの声が届いているのです。「継続してもらえると、健康に貢献できる」という想いを強くします。

一方、課題は新たなお客様の継続率でした。郵便局での試飲会などで、新たなお客様開拓していましたが、以前よりも解約される期間が短くなっています。「解約理由」を調べてみると、「特に理由がない」という声など、改善できそうな解約理由が半数以上であることに気づきます。

「街の牛乳屋」から「健康習慣パートナー」へ

解約状況について調べてみると、解約の多くは、配達1 か月目ということが分かりました。「契約1 か月目にお客様をフォローすることで、継続してもらえるのではないか」と仮説が浮かびます。

同時に、自社は、乳製品の配達ありきの「街の牛乳屋」ではなく、お客様の健康習慣づくりをサポートする「健康習慣パートナー」として、お客様と一生涯付き合える存在になりたいとの想いが出てきました。

全国の家業後継者が東京に集い、自社の経営革新のあり方について意見交換する、「家業イノベーションラボ」のブラッシュアップ会で、仮説をプレゼン。契約一か月目のお客様のフォローについて、ラボのメンターから具体的なアドバイスをもらいます。

地元三原に戻った奥田さんは、スタッフに相談。体制をつくり、契約1 か月目のお客様へのサンクスコールを実行。すると、早速、効果があることが分かります。33 軒中1ヵ月以内の解約は3 軒、と以前は半数ほどあった解約が劇的に減っていました。

「総合ヘルスケアカンパニー」を目指して、人材の採用・育成、新規事業へ

1 か月間の仮説検証の中で奥田さんに浮かんできた会社の方向性は「総合ヘルスケアカンパニー」。「こう考えると、会社の可能性が広がるんですよね」健康習慣パートナーとして、「睡眠」、「美容」、「食事(乳製品以外)」と次なる事業を模索します。

次なる事業の方向性について、家業イノベーション・ラボの関係者に相談してみると、「お客様に聞いてみてはどうですか?」との問いかけ。顧客へのアンケートをはじめ、声を聞く取り組みを始めるようです。

そして、奥田さんに今後の経営について聞いてみると、「スタッフを2 名ほど採用し、育てていきたいですね。今の事業を任せていきたい。そして、自分自身が45~50 歳となる5 年間で新規事業を形にしたいですね」。

瀬戸内・山陽エリアの方々の健康を下支えする頼もしい会社に成長していきそうです。