【家業イノベーション・メンバーズボイス vol.11 高橋 真弘さん】豆腐屋を、地域とつながる場へ。値上げから始まった家業承継。

家業イノベーション・ラボに参加している家業イノベーターたちがどのようにプログラムを活用し、実践しているのかを深掘りする「家業イノベーション・メンバーズボイス」。参加のきっかけや初めて参加したプログラムから、印象に残ったプログラムで得た気づき、そして実際に成果を上げるためのポイントまで、皆さんの挑戦をサポートする実践ガイドとしてお届けします。

今回は、有限会社高橋食品 代表取締役・高橋 真弘さんにお話を伺いました。

<プロフィール>
茨城県八千代町で1958年創業の豆腐店を営む三代目。幼い頃から家業を身近に見て育ち、将来の夢に「豆腐屋三代目」と書いたこともあった一方で、学生時代は競泳やバンド活動に熱中。大学卒業後はすぐに家業を継いだわけではなく、24歳で一度家業に入り、その後父との衝突から離れる時期も経験した。27歳で再び戻り、厳しい経営状況のなかで現場、配送、経理まで担いながら家業の立て直しに着手。代表就任後は、価格改定、生産・配送体制の見直し、直販強化などを進め、2021年には工場併設カフェ「とうふやたかはし」を開業。現在は、豆腐・豆乳・おからを生かした商品や体験づくりを通じて、地域とつながる新しい豆腐屋のあり方を模索している。

■WEBサイト: https://tofuya-takahashi.com/

家業を継いで最初にやったのは、新しいことではなく「値上げ」だった

――子どもの頃から学生時代、そして24歳で家業に入るまでを振り返ると、高橋さんにとって家業はどんな存在だったのでしょうか?

豆腐屋は、特別なものというより、ずっと生活の中にある当たり前の存在でした。家のすぐそばに工場があって、親が働く姿も自然に見ていましたし、食卓にもいつも豆腐がありました。小さい頃には将来の夢に「豆腐屋三代目」と書いたこともあります。だから、まったく無関心だったわけではないですね。

ただ、ずっと一直線に「絶対継ぐ」と思っていたわけではありませんでした。学生時代は、水泳やバンド活動にかなり打ち込んでいて、家業の外にも夢中になれるものがいくつもあったんです。だから、卒業してすぐに家業へ、という感じではなかったですね。

24歳で家業に入ったきっかけのひとつは、母の体調不良でした。その時点では、「継承するぞ」と強く決めていたというより、まずは家を支えるという感覚に近かったと思います。実際に入ってみると、朝も早いし、製造も配送もあって想像以上に大変でした。でも一方で、小さい頃から知っている従業員さんたちがいて、家業ならではの居場所のような感覚もありました。

――一度家業を離れたあと、27歳で戻るまでには、どんな葛藤や心境の変化があったのでしょうか?

家業に入ってしばらくしてから、父とはかなりぶつかるようになりました。僕としては、催事に出たり、新しい売り方を試したり、もっと外に向けて動いていきたかったんです。でも父は「豆腐屋なんだから、豆腐を作るのが仕事だ」という考えが強かった。新しいことをやろうとすると、必要ないと言われることが多くて、やる気があるほど衝突してしまったんですよね。

それで最終的には、家を出るような形で一度離れました。今振り返ると、あの時間があったからこそ、自分にとって家業がどういう存在なのかを考え直せた部分はあると思います。

それでも27歳で戻ったのは、「継ぎたい」というきれいな気持ちだけではありませんでした。家の様子はずっと気になっていましたし、家業を縮小するかもしれない、という話も耳に入ってきて。このままだと本当になくなってしまうかもしれない、と思ったんです。小さい頃から見てきた仕事だし、地域の人に「おいしい」と言ってもらえていた豆腐でもある。それがなくなるのは嫌だな、と。だから戻りました。継承というより「どうにかしなきゃ」という感覚のほうが近かったですね。

――家業に戻った当時、会社の状況はどのように見えていましたか? また、代表交代はどのように進んだのでしょうか?

戻ってみると、状況はかなり厳しかったです。配送も製造も人手も、いろんなことがギリギリで回っていて、「このままだと本当に潰れるかもしれない」と思いました。いわゆる“承継”というより、僕にとっては立て直しに入る感覚のほうが強かったですね。代表交代も、自然な流れというよりは自分で動いた部分が大きかったです。

理想的なバトンタッチではなかったですが、そのときはきれいな承継の形を整えるより、とにかく会社をこのままにしておけないという気持ちのほうが強かった。もちろん父のやり方が全部悪かったわけではなくて、ここまで続けてきたから今がある。ただ、市場も環境も変わっているし、同じやり方のままでは難しい。そこは変えていかないといけないと思っていました。

――実際に立て直しを進めるうえで、最初にどんなことから着手したのでしょうか?

最初にやったのは値上げです。地味に聞こえるかもしれませんが、まずそこをやらないと商売として続かなかった。原価を見直すと、明らかに価格が合っていない商品があって、一社一社バイヤーさんに説明しながら改定していきました。取引がなくなるかもしれない不安はありましたが、やらないと続けられなかったんです。それと並行して、生産や配送、コスト構造も地道に見直しました。派手な改革ではないですけど、「続けられる形」にしていくにはそこが欠かせなかった。家業って、新しい商品や店づくりが注目されやすいですが、その前にまず土台を整えないといけない。その意味で、価格、原価、配送、製造に向き合うことは避けて通れませんでした。

自信を持って子どもに届けられるものをつくりたい

――卸売中心だった商売の中で、なぜ直販の必要性を感じていたのでしょうか? また、それがどのようにお店づくりへつながっていったのか教えてください。

卸売中心の商売には、やっぱり厳しさがありました。たくさん作って、届けて、売れ残れば回収もある。手間は大きいのに利益は薄くなりやすいんです。だから、もっと直接届けられる出口が必要だと強く感じていました。よく「最初からカフェをやりたかったんですか?」と聞かれるんですけど、出発点はそうではありませんでした。まずは、直販の場をつくりたかったんです。

最初から店舗をつくるイメージだったわけではなくて、レンタルスペースを借りて販売したり、イベントに出たり、豆腐づくり講座をやったりと、小さなところから始めていました。でも、外で販売していると「どこで買えるんですか?」と聞かれることが多くて、そのたびに、常設の場所がないと関係がつながっていかないと感じたんです。そこから、やっぱり店が必要だなと思うようになりました。直販の場を持つことで、ただ商品を売るだけじゃなくて、自分たちの豆腐をもっと直接知ってもらえるようになる。その必要性が、お店づくりにつながっていったんだと思います。

――奥さまとの結婚や、お子さんの誕生を控えていたことは、カフェという形につながるうえでも大きかったそうですね。どんな流れで今の構想が広がっていったのでしょうか?

すごく大きかったです。ちょうど直販のことを考えていた少し前に妻と結婚して、妻はもともとパティシエをやっていました。当時は子どももお腹にいて、妻自身が妊娠中にお菓子を作りながら、「これをそのまま生まれてくる自分の子どもに食べさせられるかな」と考えるようになっていたんです。甘さを控えめにしたり、豆乳を使ったスイーツを試作したり、少しずつ今の方向につながる動きが始まっていました。

そんな流れの中で、「直販をやるんだったら、スイーツもできるよね」という話になったんです。さらに、それなら飲食の許可を取って、食事も出せたほうがいいんじゃないか、と。そうやって少しずつ広がっていって、結果的にカフェという形になっていきました。

――そこからさらに、アレルギー対応やヴィーガン対応も含めた今のスイーツや商品の方向性につながっていったのですね。どんな思いが背景にあったのでしょうか?

豆腐、豆乳、おからって、素材としてすごく可能性があるし、自分たちの子どもにも自信を持って届けられるものをつくりたい、という思いがありました。

それに、品川のイベントで「おからドーナツ」などを販売していたとき、「卵入ってる?」「じゃあ僕食べられないや」と、一人だけ卵アレルギーで買えない場面を見たことがあったんです。それがすごく切なくて。

そこから妻とも話して、小麦や卵、乳製品といった三大アレルゲンを使わない豆乳スイーツや、ヴィーガン対応のお菓子をやってみよう、という方向にも広がっていきました。みんなで同じ食卓を囲めるもの、自分たちが自信を持って子どもに届けられるものをつくりたい。そういう思いが、今の店や商品のコンセプトにつながっていると思います。

単に商品が増えたというより、豆腐屋として届けられる価値が広がっていった感覚ですね。今は、豆腐を買うだけじゃなくて、豆乳スイーツを楽しんだり、食事をしたり、子供達が遊具で遊んで過ごしたりできる場所になってきています。

――今後、どんなことを構想されていますか?

今ある製造や販売、飲食だけではなくて、もっと広い意味で地域とつながる場をつくっていきたいと思っています。

たとえば、揚げたてを食べられる場所だったり、滞在も含めて楽しめるような場所だったり。豆腐屋の延長線上にあるけれど、豆腐を売るだけではない体験をつくっていきたいです。それは急に思いついたことではなくて、卸売だけでは限界があると感じて、直販を始めて、カフェができて、地域との接点が増えてきた、その延長線上にある構想ですね。

家業イノベーション・ラボで“自分たちの実践”の意味が言語化された

――家業イノベーション・ラボには、どんなきっかけで参加されたのでしょうか?

きっかけは、2019年に茨城県水戸市で開催されていた「茨城家業イノベーション塾」でした。そこで出会った、株式会社えぽっくの若松さんに後日連絡をいただいたんです。若松さんは、地元の企業と人をつなぐコーディネーターとして活動されていて、そのときに初めて家業イノベーション・ラボのことを教えてもらいました。

あわせて「家業アイデアソン(現:家業イノベソン)に参加してみませんか?」と声をかけてもらったのですが、当時は正直、どんな場なのかあまりよくわかっていなくて(笑)。でも、まずは行ってみようと思って参加したのを覚えています。

――実際に参加してみて、どんなことを話されたんですか?

その頃は、ちょうど「直販のお店をやりたい」と考えていた時期でした。家業の豆腐をもっと直接届けられる場をつくりたいと思っていて、その構想を話していましたね。株式会社TNC 代表取締役社長の小祝さんが僕のチームに入ってくださって、「お店をつくるなら、ちゃんとブランディングしたほうがいいよ」とアドバイスをいただいたのをよく覚えています。ただ、そのときはまだ資金的な余裕もなくて、「やりたいんですけど、そこまで手が回らないんです……」と言いながら準備していたタイミングでした。

今振り返ると、あの場で自分の構想を人に話して、客観的な意見をもらえたこと自体が大きかったと思います。頭の中にあったものが、少しずつ“事業として考えるもの”に変わっていった感覚がありました。

――その後、家業経営革新プログラムにも参加されたんですね。

はい。お店が2021年にオープンしてから、家業イノベーション・ラボのオンライン勉強会には、できるだけ参加しようと思って関わっていました。その流れの中で、家業経営革新プログラムにも参加しました。このプログラムは、家業イノベーション・ラボに参加している後継者を対象に、実現したいことに対して専門性や経験を持つ外部人材をマッチングして、一緒に経営革新や事業成長を進めていく仕組みです。コーディネーターの方が入って、プロジェクト設計や人材募集、選考の補助まで伴走してくれるので、「外部人材と組んで何かを進めるのは初めて」という人でも動き出しやすいプログラムだと思いました。

――実際には、どんなテーマで取り組まれたのでしょうか?

僕の場合は、カフェを始めたあとに「いいお店ができた」だけでは続かないという課題感がありました。どう知ってもらうか、どうお客さんとつながっていくか、発信をどう整えるか。そこが次の大きなテーマだったんです。そこで、家業経営革新プログラムでは、SNSマーケティングの領域で副業人材の方に入ってもらいました。ロゴ制作やInstagramの方針づくり、発信の見せ方などを一緒に整理していったんです。最初は、正直そこまでイメージが湧いていたわけではありませんでした。外部人材と組むこと自体が初めてだったので、どこまで踏み込んでくれるのかもわからなかったですし。でも実際にやってみると、単なる外注ではなくて、こちらの考えを整理しながら一緒に進めてくれる“伴走者”のような存在だったんですよね。

――参加してみて、どんな変化がありましたか?

発信の重要性を改めて実感しました。それまで現場のことで精一杯で、どうしても「いいものをつくれば伝わる」と思っていた部分があったんです。でも実際には、ちゃんと伝えないと届かないし、どんな想いでやっているか、どんな商品なのかを見せていくことがすごく大事なんだと感じました。Instagramの発信を整えたことで、実際にSNSを見て来店してくださるお客さんも増えましたし、自分たちのお店や商品の見え方も変わっていったと思います。家業って、どうしても家の中だけで考えがちなんですけど、外の視点が入ることで、自分たちでは気づかなかった課題や可能性が見えてくるんだなと思いました。

――ローカルベンチャーラボから受けた影響も大きかったのでしょうか?

そうですね。ローカルベンチャーラボは「地域に特化した6カ月間の起業家育成・事業構想支援プログラム」で、最初はローカルでもすごくハイテクなことをやらないといけないのかなって思っていたんです。でも、フィールドワーク先でいかせてもらった場所は、地道にやっている人が多くて。逆に僕がやってきたことって「ローカルベンチャー」にすごく近いことだったんだ!と初めて知ることができました。そもそも豆腐屋さんって地域に根ざした商売だし、そういうのをずっとやってきたんだなと。それを認識するのとしないのとでは全然違いますよね。

一人で終わらせず、地域に持ち帰って実践する

――家業イノベーション・ラボに参加していて、特に印象的だった出来事はありますか?

特に印象に残っているのは、2024年に参加した香川県三豊市でのフィールドワークです。あれは本当に衝撃的でしたね。「これが、まちづくりか」と思いました。それまで自分の中にも地域に対する関心はありましたが、実際に現地に行って、プレイヤーの動き方や地域との関わり方を目の当たりにしたことで、ローカルに対する解像度が一気に上がった感覚がありました。

そのとき、田城さんが“チーム平塚”として平塚の方々と一緒に来ていたんです。その姿を見て「こういう経験って、一人で行って終わりでは意味が薄いんだな」と感じました。自分だけがすごい体験をして帰ってきても、その熱量や景色って、言葉だけではなかなか伝わらないんですよね。

それもあって、その半年後に参加したローカルベンチャーラボのフィールドワークは、地元の仲間と一緒に「チーム八千代」として3人で気仙沼に行きました。現地で同じ景色を見て、同じ空気を感じて帰ってこられたのはすごく大きかったです。帰りの車の中でも、ずっとまちづくりの話をしていて、その時間が、月1回開催しているまちづくりイベント「ヤチヨゴト」の立ち上げにもつながっていきました。

今振り返ると、フィールドワークそのものが良かっただけじゃなくて、見たことを誰かと共有しながら、自分たちの地域に持ち帰って実践につなげられたことが、一番大きかったのかもしれません。

――家業イノベーション・ラボの特に良いなと感じる部分があれば教えてください。

僕がすごくいいなと思っているのは、世代が違っても、家業を持っている同士というだけで一気に距離が縮まることです。家業という共通点があるのは、やっぱりすごく大きいんですよね。地元にも家業の人はいますけど、同じ地域に家業があるからといって、必ずしもすごく一体感があるわけではないし、すぐに仲良くなるわけでもないんです。

でも、家業イノベーション・ラボだと、「家業ラボに入っている」というだけで不思議と親近感が湧くんですよ。たとえまだ会ったことがなくても、「あ、家業ラボの人なんだ」と思うだけで、一気に仲間感が出るというか。

それってたぶん、ただ“家業を持っている人の集まり”というだけじゃなくて、このコミュニティの中には、お互いのことを話せそうだとか、一緒に成長していけそうだとか、そういう信頼感があるからだと思うんです。

実際、家業のことって、経営の話だけじゃなくて、家族のこと、地域のこと、自分自身の葛藤も含まれるので、誰にでも話せるわけじゃない。でも家業ラボの仲間だと、「この人とはいろいろ話せそうだな」と自然に思えるんですよね。

――これから家業イノベーション・ラボに、どんな人やサポートが増えると嬉しいですか?

もうすでにいろんなことをやっていると思うんですけど、そのうえで最近ありがたいなと感じたのが、普段なかなか触れにくいテーマを、実践者の目線で学べる機会があることです。

たとえば最近参加した「家業イノベーション・ラボ×株式会社TNC ラーニングシリーズ」というセミナーも、まさにそうでした。僕自身、海外向けに販路開拓の取り組みをしたこともあるんですが、正直あまり手応えを持てなかったところがあって。海外展開とか海外市場って、関心はあっても、実際には何から考えればいいのか分かりにくいんですよね。

そんな中で、海外のことをよく知っている方がメンターのような立場で入って、ああいう勉強会をやってくれるのはすごくありがたいなと思いました。海外トレンドをただ知るのではなく、日本の事業や家業にどう翻訳するかを対話しながら考える設計になっていて、すごく学びになりました。

家業をやっている人って、みんな忙しいと思うんです。現場もあるし、日々の経営もある。その中で、自分一人で新しいテーマを追いかけ続けるのはなかなか難しい。だからこそ、「その中でも、こういうチャレンジをしてみませんか?」と、少し先の視点を差し出してくれる機会があるのはすごくいいなと思います。実際、かなり学びが大きかったので、第2回も渋谷まで行こうと思っています。

——最後に、同じように家業を継ぐ立場の方々へメッセージをお願いします。

「継ぐ」と聞くと、親のやり方をそのまま続けなきゃいけないように感じる人も多いと思うんです。でも、僕はそうじゃなくていいと思っています。もちろん、受け継ぐべきものはあります。技術とか、信頼とか、地域との関係とか。でも、商売の形まで全部そのままじゃなくていい。自分のやりたいことや、自分の得意なこと、誰かと組めることを掛け合わせながら、自分らしくアレンジしていいと思うんです。そのほうが、きっと続けられるし、前向きに取り組める。家業を継ぐというより、自分の視点で引き受け直す。そういう感覚で向き合ってもいいんじゃないかなと思います。