家業イノベーション・ラボに参加している家業イノベーターたちがどのようにプログラムを活用し、実践しているのかを深掘りする「家業イノベーション・メンバーズボイス」。参加のきっかけや初めて参加したプログラムから、印象に残ったプログラムで得た気づき、そして実際に成果を上げるためのポイントまで、皆さんの挑戦をサポートする実践ガイドとしてお届けします。
今回は、株式会社斎藤鐵工所 代表取締役社長・齊藤 雄大さんにお話を伺いました。
<プロフィール>
静岡県富士市生まれ。1919年創業、今年度で107年目を迎える老舗機械メーカー「株式会社斎藤鐵工所」の6代目。静岡県立富士高校、明治大学商学部を卒業後、中小企業向け融資を行う政府系金融機関・株式会社商工組合中央金庫に入庫。福岡、東京、静岡など全国各地で11年間にわたり法人営業を担当。その後、家業である斎藤鐵工所に入社し、一度は金融機関へ戻るものの、再び家業に戻る決断を下す。2024年4月の再入社から約1年4か月で代表取締役社長に就任(就任は2025年7月1日付)。現在は「製紙機械メンテナンス集団が日本の紙づくりの未来を守る!」を掲げ、“紙のまち・富士”の製紙産業を支えるとともに、鐵工所業界の新しいビジネスモデルづくりに挑戦している。
■WEBサイト: https://saitoiron.co.jp/

“紙のまち”を支える、製紙機械メンテナンスのプロフェッショナル集団
――まずは現在の家業について教えてください。
静岡県富士市は、トイレットペーパー生産量日本一を誇る「紙のまち」です。私たち斎藤鐵工所は、その紙づくりを支える製紙機械のメーカーとして、1919年の創業以来107年にわたってこの街とともに歩んできました。私たちが手がけているのは、紙を「抄く」工程や、「加工する」工程で使われる製紙機械です。その中でも、仕事の大半を占めているのがメンテナンス。老朽化が進んだ設備の一部分を新しく作り直したり、劣化したロールの改造や新規製作を行ったりと、現場の課題に合わせて多種多様な案件に対応しています。特徴のひとつは、「設計⇒製作⇒組立」までを一貫体制で対応できることです。設計の担当者がいて、機械加工の担当者がいて、研磨を扱う担当者がいて…と、機能ごとの専門チームを社内に持ちながら、最近は「一人がいろいろな工程を理解し、対応できる体制」にもシフトしようとしています。一連の機能を自社工場内で完結できる鉄工所は、実はそれほど多くありません。
――社員の皆さんの構成や、働き方についても教えていただけますか?
社員は現在23名で、平均年齢は53歳です。フルタイムではないものの、78歳で現役の社員もいて、まさに半世紀近く働いてくれている方もいます。私は現在36歳で、年齢的には下から3番目。高卒で新卒入社してくれた22歳の社員や、最近入社した私と同世代の36歳の社員もいて、少しずつですが世代交代の流れも生まれてきました。事務職の女性が3名、それ以外は営業担当、現場担当含め男性社員です。長年在籍している社員が多く、取引先も長いお付き合いの企業さんが中心です。一方で、ここ数年でお取引が始まった企業もあり、新しいお付き合いだからこそ見えてくる課題や、これからご一緒できる可能性への期待も感じています。
――家業に入るまでの経緯を教えてください。
家業を継ぐことを、はっきりと言葉で決めていたわけではありません。ただ、代々長男が継いできた家で生まれたこともあり、物心ついた頃から「自分は将来自然と社長になるんだろうな」と、漠然と感じていました。小学生の頃は野球をしていて、プロ野球選手になりたいと思っていた時期もありました。でも、小学6年生くらいで「多分プロにはなれないな」と現実が見えてきて(笑)。その頃には、「将来は少年野球の監督をやりたい」と思っていたこともあります。
進路を具体的に考え始めたのは中学卒業後です。「高校をどこにするか」となった時に、将来的に社長になる、家業を継ぐ可能性があることを踏まえて、地元で人脈をつくることも意識しながら、進学校である富士高校を選びました。正直に言うと、私は“ものづくり”が得意でも好きでもなかったんです。祖父は地元の工業高校出身で、まさに職人という感じでしたが、私は父親と同じく文系寄り。大学も明治大学の商学部に進みました。
――その後、なぜ金融機関を就職先に選んだのでしょうか?
「将来、中小企業の経営をやるなら、どんな経験を積むのが良いか」と考えた時に、金融機関での法人営業なら、いろいろな経営者の方々と出会い、それぞれの経営を間近で見ることができると思ったんです。そこで、株式会社商工組合中央金庫に入社し、中小企業向け融資を中心に法人営業を11年間経験しました。
最初は福岡支店、その後、東京や静岡など、全国各地の企業を担当しました。仕事を続ける中で、自分が考えた提案が実際に融資やスキームとして形になり、お客様の成長につながっていくことに大きなやりがいを感じていました。

“迷いながらも前へ”。家業を「自分の道」として覚悟を受けるまで
――そこから、家業に入社する決断をされたきっかけは?
正直、タイミングはかなり悩みました。銀行での仕事が面白くなってきて、「このままここで成長していくのも一つの道だ」と思っていたからです。一方で、「齊藤家の長男として、このままでいいのか」という思いも常に頭の片隅にありました。
銀行入社後丸9年ほど経った頃、ちょうど東京の店舗から異動の可能性が出てきて、「そろそろ決めないと」と自分に言い聞かせました。親から「戻ってこい」と強く言われたことはありませんでしたが、心のどこかで「戻ってきてほしいんだろうな」と感じていましたし、自宅が実家と近かったこともあり、環境的にも“戻る”プランが現実味を増していました。
そんな中で、「自分がやるんだ」という使命感を軸に家業へ戻る決断をしました。ところが、実際に斎藤鐵工所に入社してみると、自分のスキルや経験が思うように活かせず、かなり苦しむことになります。
――どのようなギャップや葛藤があったのでしょうか。
まず、製造業という“ものづくりの世界”に飛び込んだものの、もともと好きでも得意でもない分野で、現場の仕事自体を面白いと感じられなかったんです。家業のことを深く理解しないまま、使命感だけで飛び込んでしまった部分もありましたし、「自分が培ってきたスキルをここで活かせていない」という焦りもありました。その結果、「やっぱり自分には向いていないのでは」と感じるようになり、一度は銀行へ戻る選択をします。
銀行の仕事は相変わらず楽しかったのですが、「この仕事は、自分でなくてもいいのかもしれない」という気持ちと、工場の前を通るたびに「本当にこのままでいいのか」という葛藤が、ずっと胸の中にあり続けました。
――再び家業に戻る決め手になったのは何でしたか?
決定的だったのは、父の体調が思わしくなかったことです。私が一度家業から離れたことで、父の表情がどこか元気をなくしたように見えましたし、数字の面でも以前ほどの勢いが出ていないことを感じていました。「このまま外から見ているだけでいいのか」と自問自答する中で、「やはり自分が覚悟を決めてやってやろう」と再度決心しました。2024年4月に戻ってからも、「製造業の家業で自分が何をやりたいんだろう?」と改めて自分に問い続ける日々でした。そんな中で大きな転機になったのが、アトツギ甲子園への挑戦です。この経験が、家業と自分自身への向き合い方を大きく変えてくれました。

出会いが視座を上げる。家業ラボとアトツギ甲子園がくれた“腹落ち”
——家業イノベーション・ラボを知ったきっかけや、参加しようと思った動機を教えてください。
最初に家業イノベーション・ラボを知ったのは、実は銀行に戻った後でした。再度家業に戻るべきかどうか悩み始めていた時に、妻が「こういうコミュニティがあるらしいけど、話を聞いてみたら?」と紹介してくれました。
その時はオンラインで一度話を聞いただけで、参加には至りませんでしたが、「家業に向き合っている人たちが集まる場があるんだ」ということは頭の片隅に残っていました。再び会社に戻ってから、家業イノベーション・ラボの実行委員・片山さんとご縁ができ、富士まで来てくださったことがきっかけで、本格的に関わりが始まります。
当時はまだアトツギ甲子園に出る前で、家業に戻ったものの「このままでいいのか」と悶々としていた時期でした。片山さんからは「アトツギ甲子園に出てみては?」と言われましたが、「いやいや、自分なんて…」と、最初は完全に腰が引けていました(笑)。
——そこから、どのように行動が変わっていったのでしょうか。
大きな出来事だったのは、2024年8月23日に父が急逝したことです。まさに失意のどん底でした。その少し前に、「アトツギサマーキャンプ」というイベントが東京で開催されることを知っていて、「今の状況を変えるきっかけがほしい」と思い参加しました。
そこで出会ったのが、前年度のアトツギ甲子園ファイナリストの皆さんです。一緒にお酒を飲みながら、家業への向き合い方や、事業承継のリアルな話を聞く中で、「自分とは視座の高さが全然違う」と強烈な悔しさを覚えました。同時に、「自分もこの人たちのように家業に向き合いたい」と思うようになり、そこから「アトツギ甲子園に出るしかない」と腹をくくりました。
——アトツギ甲子園への挑戦の過程で、家業イノベーション・ラボはどのような役割を果たしてくれましたか?
家業ラボのメンバーの方々には、ピッチの壁打ちをしてもらいました。実行委員・片山さんにオンラインでフィードバックの場をセッティングしてもらい、ボイスクリエーションシュクルの佐藤さんや稲垣石材店の稲垣さんなどの先輩アトツギにもセッションを組んでいただき、本気のフィードバックをたくさんいただきました。
そうしたプロセスを通じて、「会社のことをよく知らなければ、良いプランは出てこない」という当たり前の事実と向き合うことになります。フレームワークを使って事業の棚卸しをしたり、社員やお客様に話を聞いたりする過程で、「まだまだ家業にはポテンシャルがある」と実感できましたし、「自分の得意なことを家業にどう活かすか」という視点も持てるようになりました。
アトツギ甲子園のプランづくりを通して生まれたのが、「製紙機械メンテナンス集団が日本の紙づくりの未来を守る!」というコンセプトです。鉄工所の数は全国的に減っている一方で、設備のメンテナンスニーズは増えています。これからは、一社の鉄工所が個別に対応するのではなく、複数の鉄工所が連携しながらニーズに応えていくことが必要になる。その世界観を言語化し、「鉄工所業界を束ねるプラットフォームをつくる」というビジョンにたどり着きました。
——家業イノベーション・ラボというコミュニティを、どのような場だと感じていますか?
一言でいうと、「視座の高いアトツギたちが、泥臭く前を向き続けている場」だと思っています。皆さん、あえてやらなくてもいいような大変なチャレンジを、自分に負荷をかけながらやっている。アトツギ甲子園もそうですが、「家業を本気で良くしたい」という共通のベクトルを持った人たちが集まっている感覚があります。
地元の経営者コミュニティとは少し違っていて、ベクトルが常に「自分の家業をどうよくしていくか?」に向いているんです。山の高さや目指す姿は人それぞれですが、その頂に向かってもがいている人たちと対話することで、「自分ももっとやれる」と前向きなエネルギーをもらえます。
利害関係がないからこそ、本音で話し合えるのも良いところです。業種もエリアもバラバラですが、違う業界の本気の人たちがどう考えているかを知ることで、自分の中にも新しい視点が生まれてきます。アトツギ甲子園と家業ラボの属性はかなり近く、両方に関わることで、横のつながりと学びの深さが何倍にも広がっていると感じています。

“迷いながらも前へ”。家業を「自分の道」として引き受ける。
――代表就任後、どんな課題に直面しましたか?
2024年4月に戻ってから約1年4か月で代表になるというスピード承継だったこともあり、「自分自身が成長しながら、会社も成長させていかねばならない」と感じています。特に課題と感じているのは、社員の年齢構成とスキルの偏りです。平均年齢が53歳で、ベテラン勢の技術はものすごく高い一方で、属人化も進んでいます。金融機関時代のように会社を客観的に見る姿勢を持ちつつも、いかに実際に働く人が「手触り感」をもってのびのびと働ける組織づくりができるかが今後の課題です。
今は、「設計・製作・組立・研磨」と分かれている専門性を尊重しつつも、「一人がいろいろな工程に触れ、全体像を理解しながら動ける組織」を目指しています。若手や中堅が、ベテランの技術をきちんと継承していくためにも、良いものは残しつつ、これからの時代に合わせた柔軟な組織づくりが必要だと感じています。
――承継して良かったと感じる瞬間はどんな時ですか?
アトツギ甲子園の決勝大会のピッチを社員がライブ配信で見てくれて、会社の未来に対する自身の本気度を社員の皆さまが共感してくれたことは、大きな転機でした。その後「一緒にやりたい」と同世代のメンバーが会社に入ってくれたこともあり、「悩みながら動いたことが、ポジティブな変化につながっている」と実感しています。かつては、銀行時代の同期が眩しく見えて、どうしてもネガティブな感情になってしまうことがありました。でも今は、「自分にしかできない役割」を少しずつ引き受けられている感覚があります。家業に向き合う覚悟を行動で示したことで、社員や地域の方々との関係性が変わってきた。まだまだ途上ですが、その変化を肌で感じられることが、承継して良かったと心から思える瞬間です。
――家業イノベーション・ラボを、今後どのように活用していきたいですか?
これからぜひ増やしてほしいなと思っているのは、「ツアー型」の学びの機会です。例えば、以前やられていた田城さんの会社のように、工夫して組織づくりに取り組み、実際に結果を出している企業を訪問するツアー。みんなで現場を見て、本音で語り合うような場があると、学びの深さがまったく違ってくると感じています。
異業種の企業ももちろん面白いですが、今の自分のテーマでいえば、同業で特徴的な取り組みをしている鉄工所にも行ってみたいです。そういった現場を、ラボのメンバーと一緒に巡るツアーができたら嬉しいですね。
また、業種を絞ったオンラインイベントも面白いと思います。製造業や紙関連の企業のセッションなど、近しい業界同士で課題や工夫を共有できる場があると、お互いの気づきがさらに深まるはずです。
——最後に、同じように家業を継ぐ立場の方々へメッセージをお願いします。
まず伝えたいのは、「一人で悩まない方がいい」ということです。私自身、“えいや!”と飛び込むことが全く苦手というわけではありませんが、それでも家業に戻るかどうか、どのタイミングで覚悟を決めるかについては、本当に悩みました。
そんな時に大きかったのは、片山さんのように背中を押してくれる存在がいたことです。「一緒に行ってみない?」「チャレンジしてみなよ」と声をかけてもらえる人の存在は、とても心強い。自分の中で「ああでもない、こうでもない」とぐるぐる考えている時に、最初の一歩を一緒に踏み出してくれる人がいるかどうかで、その後の景色は大きく変わると思います。
家業にしっかり向き合うための“やり方”として、家業イノベーション・ラボでの壁打ちや、アトツギ甲子園への挑戦といった選択肢があります。私も、アトツギ甲子園でのピッチを通じて、自分の決意を対外的に宣言し、その熱量が社員や周囲に伝わったことで、新しい仲間が増えるという思わぬ効果も生まれました。悩んで、動いて、また悩んで…。その繰り返しの中で、少しずつ腹落ちしていくプロセスを、ぜひ楽しんでもらえたら嬉しいです。

