【家業イノベーション・ラボ×シブヤ大学】大人のリベラルアーツ 第2回:哲学 レポート

2021年2月よりスタートした「大人のリベラルアーツ」は、渋谷区を中心に大人の学びの場を提供しているシブヤ大学と、次世代の家業後継者たちを支援する家業イノベーション・ラボによるコラボレーションイベントです。第1回は「学びとは何か」とテーマに、文筆家でゲーム作家の山本貴光さんと、同じく文筆家で編集者の吉川浩満さんがナビゲーターとなり、「学びとは部分的な自己破壊とそこからの再構築による成長の過程」というパワーワードが飛び出しました。

そして、第2回は批評家/作家であり、株式会社ゲンロンの創業者でもある東浩紀さんをゲストに迎え、「哲学」をテーマに開催されました。

「哲学」を家業とした実業家・東浩紀さんとは?

今回のゲストである東さんは、1998年に発行した『存在論的、郵便的—ジャック・デリダについて』(新潮社発行)を皮切りに数多くの本を執筆する一方で、2010年に出版、放送、スクール、イベント運営などの事業を手がける株式会社ゲンロンを設立しました。思想誌「ゲンロン」を刊行するほか、東京・西五反田にある「ゲンロンカフェ」で年100回のイベントを開催したり、2020年には映像配信プラットフォーム「シラス」の運用も始まりました。

しかし、時代の寵児として注目を集めてきた東さんでも、経営者としてのこの10年間は経営の難しさを痛感することが多かったようです。

2020年12月に発行された著書『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』(中公新書ラクレ発行)の中でも綴られていますが、業績不振や計画のとん挫、社内の不協和音などもあり、東さんは期待通りに進まない苛立ちと「言葉と現実のずれ」を常に感じていたといいます。そして、2018年には株式会社ゲンロンの代表の座を当時の副社長であった上田洋子さんに譲ることになりますが、その後、会社は順調に売り上げを伸ばし、社内の風通しもよくなったそうです。その現実を目の当たりにし、東さんは一つのことに気づきました。 「会社の立ち上げから10年間、僕がやっていることは世の中の役に立つ、少なくとも硬直した何かを揺るがすような、その役割を果たすことを形にしてきたつもりでした。でも、そこで東浩紀という人間は人をコントールしたり、アイデアを出させる能力はないということに気づいた。つまり、人を活かすということは、自分に能力があることとは全く違うことなんだ。『僕が作った会社なのに』と理不尽に思うこともあったけれど、それで逆に自分のやるべきことが明確にもなった。だいぶ時間はかかったけど、僕は実際に体験したことで学ぶことができた」(東さん)

そんな特殊ともいえる経歴を持つ東さんをゲストにオファーした理由について、今回もナビゲーターを務める山本さん、吉川さんはこう話しました。

「日常生活や社会のどこに接点があるのかもわからない哲学を考えるうえで、東さんの著書や実践の場で展開されている思想が、私たちの生活や社会と哲学の関係を指し示す一つの好例だと思ったから」(山本さん)

「さまざまな制約がある中で何ができるのかを考えるのが大人であれば、まさに東さんは『大人のリベラルアーツ』を体現する存在だと思ったから」(吉川さん)

 確かに東さんが語る「失敗の経験を経たからこそ得られた学びの機会」は、この社会において仕事に携わり、人との関わりを持っていれば、誰でも得られるものです。そういう意味でも東さんは私たちと近しい存在であり、身近な例として多くのヒントをもたらしてくれました。

哲学は読み手の経験によって捉え方が大きく変わる

それでは、東さんにとって「哲学」とは何なのでしょう。冒頭で山本さんが尋ねると、東さんは「哲学とは生きているすべての人間が『ここが違う』『ここはおかしい』『私は何だろう』と思ったときに発生するもの。つまり、哲学は生きることとほぼ同じこと。だからビジネスとは本質的に相性はよくないかもしれないけれど、僕たちが抱える問題の提起や心の問題を言語化し、解決するために役立つものだ」と答えました。

哲学は、自然科学のように未知なる部分を既知なものへと変えていく知識の営みとは異なり、たとえば2500年前の古代ギリシャ人が書いたものを読み解き、その本質を捉える営みといえます。正義とは何か?人はなぜ学ぶのか?その答えは時代や社会は変わったとしても、人間そのものの本質が変わらない限り、未だに解き明かされるものではないのかもしれません。つまり、哲学は新しいものを知ることが目的ではなく、自分が経験したことで気がついたり、もともとあったものを改めて理解するプロセスなのです。

東さんも年齢や経験を重ねた今、改めて哲学書を読むと若いころには気づかなかった哲学の奥深さを実感すると話しました。

「結局のところ、哲学は読む側の経験によって読み方が変わるものなんだ」(東さん)

では、今の東さんが会社設立当時の東さんにアドバイスしたら、素直に話を聞くのでしょうか。

「僕が当時の僕にアドバイスするとしたら、『お前には限界があるから調子に乗るな』っていうことだけど、あいつは聞かないだろうなって10年前の自分に対して思う。それは僕だから仕方がないことなんだけど…。もし、誰かの考え方そのものを変えたいと思うなら、こちらもしっかりと経験を積んで、説教も聞いてくれるような信頼関係を作らないとだめだと思う。そうしないと知恵は受け継がれないんだよ。当時の僕の周りにはそういう人がいなかったってことだけど、少なくとも僕の下の世代には僕のような失敗はしてほしくないなと思う」(東さん)

東さんと山本さん、吉川さんのテンポよい掛け合いで進められた1時間半のトークセッションは、哲学の話に終始することなく、「シラス」の開発秘話からインターネット上に氾濫する情報の受信能力を高めるリテラシー教育の必要性まで広がり、さらにはクラウドによる書類管理の回避やGメールを活用した東さんのライフハック術にまで及びました。

すべてを聞き終わって感じたのは、第1回の「大人のリベラルアーツ」が“哲学を学ぶための心構え”だったとするならば、今回は東さんの経験をもととした“哲学を学ぶための実践の場”のように感じました。東さんが発する言葉の一つひとつは、私たちに「今、何をしたのか?」「どうするべきか?」と立ち止まって考えるきっかけを作り、そして「チャレンジすることを恐れるな」と背中を押してくれたように思います。

次回で「大人のリベラルアーツ」もついに最終回。第3回は「アート」をテーマに、美術ジャーナリストの藤原えりみさんをゲストに招き、私たちの「ものを見る力」について深堀していきますので、次回のレポートもぜひご覧ください。