海外進出や農家支援に取り組む!造酢業界のトップランナー!

山二造酢は、明治20年に創業した三重県津市にある造酢会社。現在は5代目となる岩橋邦晃氏が経営している。 従業員は18名。今年78歳になる現会長は現役で製造に関わっている。 山二造酢のこだわりは昔ながらの製法だ。じっくり発酵・熟成させることで、口あたりまろやかな、酸味の角が取れた“やさしいお酢”をつくっている。 今回は、山二造酢の岩橋社長に、お酢づくりのこだわりや、後継者としてのあゆみについて伺った。

山二造酢のお酢づくりへのこだわり

お酢は、酒に酢酸菌を加え発酵・熟成させてつくる調味料。

米酢などの穀物酢のほか、ブドウを原料としたワインビネガーやバルサミコ酢、フルーツを原料とした果実酢など、世界各地でお酢が好まれている。お酢の種類は様々なものがあるが、基本の発酵方法は大きく2種類。

伝統製法である「表面発酵法」と、人工的に発酵を促す「深部発酵法」がある。山二造酢は明治20年の創業以来、昔ながらの表面発酵法で製造し続けている。

●表面発酵法

 ・発酵液に含まれる酢酸菌が桶の表面で菌の膜を作り、

  空気中の酸素を取り入れながら自然に増殖・発酵させる方法。

 ・製造期間:2~3か月

●深部発酵法

 ・発酵液の入ったタンクに空気を送り込み、液体を高速回転させる。

  酢酸菌を効率的に空気に触れさせることで人工的に発酵を促す方法。

 ・製造期間:2~3日

それぞれの製法でつくられたお酢は、一見同じように見えるかもしれない。しかし、短期間で発酵・熟成されたお酢は酸味が強く、角が立つ。一方で、発酵・熟成に時間をかけたお酢は、ただ酸っぱいだけではなく、うまみ成分が増し、口当たりの良いまろやかなお酢になる。

かつて、日本各地には山二造酢のような地場の造酢会社が多くあった。しかし、高度経済成長期に、地元のお酢を売ってくれる酒屋などの個人商店の数が減少。消費者はスーパーで買い物をする時代になった。

スーパーの調味料コーナーは、大手メーカーで大量生産された安価なお酢が占拠しており、販路をなくした造酢会社は苦境に立たされた。山二造酢の経営も苦しくなった。お酢の出荷数が減るにつれ、従業員の数を減らすこともあったという。

だが、山二造酢は大手メーカーのように効率重視で大量生産する製法ではなく、あくまでも伝統的な製法にこだわった。

「手間暇かけてつくるから、山二造酢の味になる。今まで使っていただいているお客さんがいるので、製法へのこだわりは変えてはいけないと思っています。」と岩橋社長は語る。

経営者になるまでの歩み

岩橋社長に幼少期から経営者になるまでの歩みについて伺った。

「小さい頃は蔵=遊び場のような感じで、よく遊んでいましたね。家庭では、お酢を使った料理がよく並んでいました。」

と振り返る。幼いころから周りに”後継者”という目で見られてきた。自分は跡継ぎであるという意識もあったそうだ。しかし、思春期を迎えるころには、他にやりたいことや興味が芽生え、”山二造酢を継ぐ”という気持ちが揺らぐ。

「外の世界を見てみたい」と、大学進学のタイミングで上京した。大学時代は音楽活動に没頭。バンドのドラムを担当し、仲間と青春時代を過ごしていたという。就職活動が始まるころ、跡を継ぐ以外に道があるのではと思ったが、これといったものに出会えず、両親と話し合い、山二造酢へ入ることを決めた。

大学を卒業した岩橋社長は、愛知県の味噌・醤油の蔵元で修業をしたのち、山二造酢へ入社。製造現場に配属された。岩橋社長は、入社当時の意外な苦悩を語ってくれた。

「とにかく、暇やなと。修行に行った愛知の会社は毎日忙しくて1日中作業が詰め込まれていました。でも、山二造酢に入ってからは、『することがないな、溝掃除でもしよか』という日があったりして。このままで大丈夫なのかと、不安を感じましたね」。

一通り製造の仕事を覚えながら、製造以外の仕事にも携わり、徐々に後継者としての覚悟が定まっていった。

会社を引き継いだのは2009年、36歳のころ。突然のバトンタッチだったという。

「お世話になっている会計士の先生に、いきなり呼び出されたんです。なんやろって行ってみたら、来月から社長になってほしいと。なんで(現会長から)直接言わんのやろ、と思いましたけど、『わかりました』と返事をしました(笑)」と、当時を振り返る。

新たな挑戦!農業の6次産業化支援

岩橋社長は老舗企業の経営者として、伝統的な製法を守りながら新しいことにも果敢に挑戦している。

農業の6次産業化支援(農家向け果実酢の受託加工)もそのひとつだ。農家にとって、品質に問題はないが、売れ残りや規格外等の理由で出荷できない果物をどのように加工し、利益に変えていくかは大きな課題である。山二造酢は生産者から加工用の果物を受け取り、お酢を受託生産している。

果実酢の受託加工を行っている会社は山二造酢の他にもある。しかし、原料となる果物が1トン近くないと、加工を引き受けてくれない会社も多い。山二造酢の強みは、100㎏~小ロットで対応できることだ。ラベルのデザインまで請け負ってくれるので、生産者にとっては手間も少ない。

農業の6次産業化支援事業を始めたきっかけは、2014年、東京で行われた農業関連の展示会だった。当時の様子を岩橋社長はこう語る。

「突然、展示会を行う会社から営業電話がかかってきました。『農業の展示会に出ませんか』と。最初はピンと来なかったんです。しかし『農産物でお酢をつくるPRをしたらどうですか』と提案されて。これは面白そうやなと思いましたね」。

以前から、ミカン農家の依頼を受けてミカンのお酢をつくっていたことはあったが、本格的に自社で6次産業化支援をアピールするのは初めてだった。

展示会に出展すると、予想以上に反響が良く、食品関係の展示会に出た時と比較して、約5倍の問い合わせがあった。

関東の農家を中心に、依頼が増えていった。過去5年間の受注件数は100件以上となり、大きな事業の柱になりつつある。

飲むお酢を世界へ!海外の商談会へ積極的に参加

岩橋社長が海外展開を始めたのは、2013年。知人の社長に誘われて、シンガポールの海外商談会に出向いたのがきっかけである。

シンガポールのバイヤーたちに売り込んだ商品は、自社で製造・開発した果実酢。果実酢をミネラルウォーターや炭酸水で割った飲み物は、健康や美容効果が期待できるとして海外でも注目され始めていた。

初めての海外の商談会は、すぐに商売にはつながらなかった。しかし、飲むお酢を飲んだバイヤーたちの反応は、日本人向けに試飲をしたときよりも好感触で、岩橋社長は大きな手ごたえを感じたという。

海外で初めて商品が売れたのは、最初の海外商談会から約1年後。マレーシアの百貨店のバイヤーに気に入ってもらえた。その後、アジアやアメリカ、ヨーロッパなど世界をめぐり、こだわりのお酢を売り込んでいった。

販売先に合わせて、瓶のサイズ変更や、英語や中国語表記に改めるなど、細かなニーズにも対応していった。売り上げは好調。現在、海外の売上は、会社全体の売上の1割を占める。飲むお酢に限定すると、約7割が海外での売上となった。

岩橋社長は「いま、飲むお酢がよく売れているのはマレーシアですね。中華系の女性によく好まれています。特に柚子のお酢は、飲みやすく、日本らしい味わいなので、海外で人気がありますよ」と語る。現在は年10回以上は海外の商談に参加している。

挑戦の原動力は何か?これからの目標

老舗の伝統を守りながら、新規事業や商品開発、海外展開など、新たなことにチャレンジし続けている岩橋社長。

挑戦の原動力は何かという質問に対し、このように回答した。

「新しいことを始めるとき、確かに『失敗したらどうしよう』と思うこともあります。しかし、私の考えは”現状維持はマイナスでしかない”ということ。何もしないことが一番恐いですね。入社したてのころ、会社に仕事がなく暇だった時は非常に不安でした。生き物は進化しないと生き残れない。会社も同じで、環境が変わっていく中で進化していかないと、滅びてしまう。時代にあった商品をつくり続けるために、挑戦していかないとと思っています」。

さらに、今後の目標に対しては、三重県内での知名度やファンをもっと増やしていきたいと語る。世界各地で販路開拓をしている岩橋社長だが、根底には、伝統や地域の食文化を大事にしたいという思いがある。

「本来、日本は地域によって食習慣が違うんです。寒い地域と温暖な地域では、採れる食材や食べ方が変わりますよね。ヨーロッパでは、地元の食べ物、伝統があるものを大事にしていこうという雰囲気があります。でも、日本はどこのスーパーに行っても同じお酢を売っていますよね。どこのお酢も一緒だと思われてしまうのは残念です。たとえ山二造酢と別の造酢会社が同じ材料・製法でお酢をつくっていても、それぞれの蔵付き菌が違うので味や風味は微妙に変わるでしょう。その地域にしかない伝統食品や食文化の魅力をもっと多くの人に知ってもらいたい。まずは、山二造酢のお酢が三重県で一番使われるようにしたいですね」

とこれからの目標を語ってくれた。