地方の斜陽産業にもチャンスがある。可能性を探り、新たな市場を目指す。

大分県竹田市にある城下町の中心部で、ワーキングユニホーム及び、ブラウスやワンピースなどの婦人子供服のほか、防水シーツやエプロンといった介護用品の製造を行う「竹田被服」。 1970年に創業した「竹田被服」は、アパレルの国外輸出が盛んだった煽りを受け、順調に 業績を伸ばし、ピーク時は市内に3つの工場を運営するほどに急成長。しかし、現在は海外の工場で低価格で大量生産される衣料が台頭し、価格競争が熾烈化。衣料の国内生産は 約3%と言われている中で、地方で営む縫製工場は岐路に立たされています。 業績が縮小する中で、7年前、家業を守ろうと地元に戻ってきたのが、大塚雄一郎さん。いろんな可能性を探りながら、立て直しに取り組んでいる大塚さんにインタビューしました。

「なんとかして残したい」父の思いを継いで

――実家の会社に入ろうと思ったきっかけを教えてください。

元々ITが好きだったこともあり、情報工学を学ぶため群馬の大学に進学。そのままシステムエンジニアの会社に就職しました。いざ働いて見ると、ただひたすらに機械と向き合っていく作業にやりがいを感じられなくなり、自分に合っていないのではと考えるようになりました。その時に東日本大震災を受けて。東京の住み辛さを感じ、これからの暮らしを考えて地元で家業を継ぐという道を選んだんです。父は帰ってきてほしそうでしたが、母は経営が伸び悩んでいるし、「やめておいた方がいい」って反対していましたね。でも今までに得たノウハウを活かして、情報を整理し、生産性を高めていければ、縫製業もうまくいくはずだと思って家業に入ることにしました。

――経営が伸び悩んでいたということですが、当時の会社の状況はいかがでしたか?

安い価格でも受けなければ仕事がない。会社の生き残りをかけてとにかくいろんなことに着手していた父は20年ほど前からいち早く外国人技能実習制度を活用して、中国やベトナムの方と一緒に生産を続けていました。私が入社した時にもその状態は続いていて、「竹田被服」を存続させるために、なり振り構わずとにかくやるんだ、やるしかないんだという状態でした。

――どうにかして会社を存続させたいという強い思いが社長にあったんですね。

そうですね。社長は祖母と一緒に運営してきた「竹田被服」が、家族の思い出が詰まったものでもあるし、儲からないけれど残さなければいけないという使命感があったのかもしれないですね。

生産管理の徹底とデータ化により生産効率が上昇

――厳しい状況を打破するためにも、大塚さんは家業を継ぐことを選んだんですね。

培ってきたノウハウを使えば何とかなると思っていましたが、考えが甘かったというのは痛感しました。入社した当時は全てがアナログで。今日はこれ、明日はこれを作るという生産情報も整理されていないですし、だからといってパソコンを入れて、それを整理さえすれば良いかというと、システム化されることで周りの人は働きやすくはなるかもしれないですけど、売り上げには直結しない。色々と取り組んでみたものの全くうまくいかないという状況もありました。

――試行錯誤しながら様々な取り組みをする中で、売り上げ増に繋がった取り組みは何ですか?

価格の見直しと、生産管理です。最初は社長から「この金額で」と言われたままの見積もりを出していたんですが、社長が出す見積もりは昔のままで、どんぶり勘定のような感じだったんです(笑)。でもやっぱり適正価格で見積もりを出して、適正な工賃を貰ってかなきゃいけないよねと。そのためには“適正”というものの指標が必要だと思ったんです。そこで毎日ちゃんと日報を集計して、製品を作るのにどれだけ時間や手間、労力がかかったかというデータを取るようにしました。請求書を出す前に「これ厳しかったです、支払額をちょっと上げてほしい」と伝えることもやってきました。見積もり額をあげることで顧客が離れるという怖さもありますが、でもちゃんと納得していただける価格で製品を提供できる会社でないと、これから先残っていけないだろうと思ったんです。

生産管理は、作業工程とスケジュールを見直しました。想定したスケジュールが短すぎると品質が落ち、長すぎると売り上げが落ちる。過密なスケジュールは従業員のモチベーションも下がりますし、服は1針1針集中して縫わなければ必ずミスが出ます。スタッフ全員が安心して作業に集中できる環境を作ること、そのために受注から生産までの作業工程を詳細に洗い出し、それに見合う適正なスケジュールを引くようにしました。

――取り組みの一つとして、1ヶ月間インターン生の受け入れなどもされてきましたよね。受け入れを終えて変化した部分はありますか?

大学生が2人インターンに来てくれたんですが、彼女たちには企業パンフレットやホームページの構築、また外国人実習生とのコミュニケーションを図るツールの作成をお願いしました。1ヶ月間の中で、成果物をしっかり作ってくれたことはもちろんですが、それ以上に町の人たちと積極的に交流し、「竹田被服」の話をしてくれたことで、新たな繋がりを生んでくれました。変化を数値化することはできないですが、私たちに新しい気づきをくれた良いきっかけだったと思います。

新しい市場を生み出すために好きを磨く。「やりたいことを、やる!」

――これから取り組んでいきたいことについて教えてください。

今は父がミシンなどの設備メンテナンスと経理、外国人技能実習生の管理をしていて、母が縫製のリーダー、私が受注管理・見積もり・裁断・営業、姉が資材管理を担当し、従業員(日本人5名、ベトナム人11名)が縫製作業をしています。これから先、父と母が引退することを考えると、穴を埋めてくれる人材を探さなければいけない。そのためには企業の指針や「竹田被服」のビジョンをしっかり持っておくことが大事ですが、今はそれを探している最中です。

ビジョンは自分たちは何ができるのか、何をやりたいのかを突き詰めた上で組み立てる必要があります。データやマーケティングから組み立てても大企業にはかないません。だからこそ「竹田被服」だからできる、他で真似できないことを探さなければいけないと思っています。そのために今は「好きなことやって、それで新たな市場を作る」ことに注力したいと考えています。

これから取り組みたいのは、作った服を1着売るということ。今は受注生産なので、送られてきたボタンや布といったパーツを組み立てるように縫製して服を作ることしかしていないんですけど、今後はデザイン・仕立て・販売までの一連の作業に関わって、屋台でも路上でも自分がこだわった服を説明しながら手売りするという体験をしてみたいんです。対話の中から予想もしないアイデアが広がることがあると思うので。あとは布を使ったおもちゃを作ってみたりとか。アパレルは厳しいと言われる時代の中でも、大企業が真似できない、中小企業だからこそできることはまだまだあると思っています。いろんなことにアンテナを張って、可能性を探りながら「竹田被服」のこれからを作っていきたいです。