家業の持つリソースを活かし、社会に新しい価値を生み出すことに挑戦する家業後継者をご紹介してきた家業イノベーション・ラボ。今までは、特に経営者や社員の立場からの挑戦をご紹介してきました。 しかし日々活動をしていく中で、学生という立場から家業の革新に挑戦する若者と出会いました。創業約300年、福島県の大桑原つつじ園の次期26代目 渡邉優翔くんです。彼は現在、東京農業大学の2年生。今回は、学生である彼が、学生の立場でありながら家業に関わってきた動機と現在の取組の先に目指すビジョンをご紹介します。
渡邉くんの実家は、約300年も続く大桑原つつじ園。小高い2つの丘と1つの畑で構成される1万坪の敷地に、約200種のつつじや西洋シャクナゲ、芍薬といった花々が咲き乱れるその美しさは、地域の方々からも長年愛されてきました。
元々は、江戸時代の中ごろにこの地の庄屋であった渡邉宗一郎氏が、自らの観賞用につつじを植えたのが始まりで、現在は1万株を超えるつつじが栽培されています。来園者につつじを楽しんでいただくため、築150年の民家を使った見晴らしの良い休憩所や、つつじ等の植木の直売も行っており、少しでもゆっくりと花を楽しめるようにと、園内には食事処も設けられています。
「継ぐ」ことを決め、祖父に立てた誓い
そんなつつじ園を継ぐことを、渡邉くんはいつ意識し始めたのでしょうか。
転機が訪れたのは、彼が中学生のころ。大好きだった曾祖母が亡くなった時のことです。初めて大切な人の死に触れた際は、心にぽっかりと穴が開いたようで、すぐに立ち直れずにいました。葬式が終わり何日かたったある日、曾祖母の遺した遺言を渡邉くんは目にしました。そこには、一つのメッセージが残されました。「家業を継いでほしい」。そのメッセージを受け取った渡邉くんは、初めて家業を継ぐことを意識し始めました。また、祖父にも深刻な病があり、徐々に仕事が出来なくなってきていたことも重なり、自分が家業を継ぐという意識がだんだんと強くなってきたそうです。
高校も最初は進学校に進むつもりだったそうですが、家業を継ぐ覚悟を決め、ギリギリで進路を変更し農業高校への進学を決めました。進学後は、祖父が寝たきりになってしまったこともあり、家業を手伝うようになりました。その際、病気で動くことのできなかった祖父は笑顔で喜んでくれたそうです。しかしそんな祖父も、高校1年生の6月に亡くなってしまいました。亡くなる2日前に祖父と話していた彼が伝えたのは「僕が日本一のつつじ園にする」という決意。曾祖母が亡くなった時には伝えることができなかった言葉でした。
自らが「家業を背負う」という経営者としての覚悟
そこからは経営に必要な財務まわりや観光農園の市場等の勉強を始めました。とはいえ、自分だけで学ぶのには限界がある。そう感じた渡邉くんは、地域の企業の社長やコンサルティング会社に連絡を取り、経営に関して他者からのアドバイスも収集しました。そうして得た知識は家業の経営に生かされ、25代目である父にもCM等の広告費見直しの提案をしたり、結婚式場の庭の管理やつつじ園を前撮りの場所として提供したり、家業の仕事づくりにも繋がったそうです。
高校3年生の時には、かつてつつじの群生地だった宇津峰山を新たに観光資源として復活させるため、毎年100株ほどのつつじを植えるプロジェクトにも取り組んでいます。宇津峰山は福島でも認知度が高い山で、小学校の校歌になったり、渡邉くん自身も小学生のころに登山の経験があったりと、地域からもなじみ深い山として知られています。
彼がこのプロジェクトに取り組んだ理由は、そんな地域から愛される資源を守ることが、地域に根差した家業の使命だと考えたからです。「つつじが復活すれば、いろんな人がお花見や登山を楽しめるはず。地域に根差した家業だからこそ、地域の環境を守り、受け継いでいきたい。」と、地域内での家業の存在意義を意識していました。
渡邉くんは大学に進学してからも、家業のために複数のプロジェクトに挑み続けました。その1つが、欧州系最大の経営コンサルティング会社「株式会社ローランド・ベルガー」との共同プロジェクトです。かねてより、つつじ園では剪定の際に出るごみやお客さまが購入した植木の運搬などに大きな労力がかかるという課題を抱えていました。その課題に対し、同社の社内ベンチャーが開発した遠隔操作可能な小型EVバトラーカーを実証実験として導入し、カートを使った運搬による業務効率化に向けた取り組みを行ったそうです。
ここまでの活動を聞く中で私は、彼にとっての「後継者の定義」が何となく見えてきました。彼にとっての後継者とは、経営者になるための知識を吸収するだけでなく、日々働く中で「地域にとって、お客さまにとって、従業員にとってこんな家業でありたい」というビジョンを持つこと。そして、そのビジョンの実現に向け、新しい施策や現状の課題解決に向けた手を実際に打っていくことだと感じました。
私はそんな彼に、伝統を受け継ぐだけでなく、新しい価値を生み出していく「イノベーター」の片鱗を感じました。
家業を「革新」していく中で、大切にしたいもの
そして、渡邉くんが次に取り組みたいと考えているのは、ウィズコロナ、アフターコロナに向けたクラウドファンディングです。
福島県にあるつつじ園は、2011年の東日本大震災の際には当然被害を受けたものの、開園時期に間に合わせ、休園することなく経営されてきました。しかし、今回のコロナウイルスの感染拡大により、創業以来初めて一時休園という決定をしたそうです(5月22日現在も食事処は閉鎖)。
自社の経営危機への対応もプロジェクトを始めた理由の1つですが、震災後に支えてくださった方々への恩返しという側面もあります。支援してくださる方々に、花や招待券を送り、花の持つ力で人を笑顔にしたい。そんな想いを、彼はこのプロジェクトに秘めています。
しかし、彼はまだ大学2年生。将来的に継ぐことは決めているものの、卒業後の進路は具体的には決まっていません。
一度就職し、ノウハウを身に着けてから家業を継ぐなどいろいろな選択肢が待っています。「経営の知識を深めるためにコンサル業も気になる」「まちづくりの知識も学んで、地域に深く根差し、地域と共に発展していく方法を学ぶのも良い」と、探究心は尽きることがありません。それに、今まで彼が取り組んできた変革の兆しを見ていると、今後のつつじ園の進化に私自身、期待をしてしまいます。
ですが、彼はこう語りました。「色々な取り組みをやっても、あくまでベースはつつじ園、花を通してお客さまを笑顔にする仕事がしたい」と。その情熱は、家業の伝統を大切にしつつ、「僕が日本一のつつじ園にする」という祖父との約束をきっと果たせると、私は感じずにはいられません。
▽大桑原つつじ園HP▽