令和元年に誕生した「株式会社TGCカーライフサポートFU」の始まりは、元禄3年、岡藩中川公の御用商人としてろうそくの商いを行う「藤野屋」から。その後精米業や製粉業、家畜飼料の鶏卵の販売など業態を変えながら、昭和54年に運送部門だけを独立させた「藤野屋運送」が誕生しました。この「藤野屋運送」の跡継ぎとして育ったのが、甲斐智幸さん。 甲斐さんは新しく自動車の整備工場や新車販売の会社を立ち上げて分社化。今まさに動き始めた会社を操縦しています。地元に戻ってから商工会議所青年部の会長を務め、地域振興にも積極的に関わる甲斐さんに、家業に携わることにした背景や、これからの未来について語っていただきました。
進路を決める際に、家業を意識
――子どもの頃から家業を継ぐという思いはありましたか?
当時は車には全く興味がなかったですし、小学校から高校までずっと野球に没頭していたので、将来はスポーツ関係の仕事に就きたいと思っていました。でも親にその話をしたら、「ダメだ」と鶴の一声で(笑)。「整備士の仕事がいいぞ」「会社に帰ってこい」って言われて。整備士の資格を取得できる工業系の大学に進学しました。
――大学に通いだした時点で、継ぐ覚悟を決めたんですね。そこに抵抗はなかったですか?
なかったですね。兄が先に家を出ていて、兄弟でほかに男は僕しかいなかったですし、やっぱり男が家業を継ぐのが当たり前と言われている時代だったので。跡継ぎにならないとと思っていました。大学卒業後は整備工場で6年間働いて、トラックの整備ができるように資格を取得して戻ってきました。
整備工場の設立が、新たな事業を生む転機に
――甲斐さんが会社に入って、変わったことはありますか?
私が戻ってきて半年後に、藤野屋運送の敷地に新たに自動車整備工場を立ち上げたんです。運送で使っているトラックは3か月ごとの点検が法的に義務付けられているので、そのトラックを整備する工場を作りました。運送だけでなく整備もやっていたおかげで、燃料が高騰しても潰れずに続けてこれたんだと思います。
――整備の知識がある甲斐さんが戻ってきたのは、会社にとって分岐点になっているんですね。
そうですね。認証工場だったので、法人だけでなく一般のお客さんも来るようになって。でも毎日整備があるわけではないですし、仕事がない日もありました。営業にも行っていましたが、やはり地方に顧客が大勢いるわけではないんですよね。だから会社にとって良かったとも言い切れないんです。それに跡を継ぐための勉強時間の確保も必要で、そのために社員も増やしましたし、お金を稼がなきゃいけない。そこで、平成29年の10月に国産の全車種を取り扱う新車販売・新車リースのフランチャイズ「新車市場」をオープンしました。
――カーリース事業は当時大分県内ではまだ珍しかったと思います。社長には理解していただけたのですか?
「新車市場」を始めたときは、大分県内でもまだ4店舗くらいしかなかったんです。だから「本当に大丈夫なのか?」と言われましたけど、整備だけじゃなく車を販売することで、売った車が整備を受けに戻ってくる仕組みを作りたかったんです。不安になったら、落ちる一方だと思うので、絶対売れる!これからこの仕組みが伸びてくる!と伝えて。当時は前しか向いてなかったですね。
――今ではもう車を<買う>から<借りる>というのが一般的になってきましたよね。ずっと整備をされていて、車の営業はどこで学ばれたんですか?
車を自分で売り出してからの独学です。元々人と会話するのが好きだったので、お客さんと話すのが楽しいんです。そして要望を聞いて、提案して、納得して、そして喜んで帰ってもらうのが嬉しいですね。寡黙な整備より合っている気がします(笑)。
分社化したことで広がる可能性
――その後「有限会社藤野屋運送」から自動車修理販売部門を分社化されました。分社化を決めた理由を教えてください。
令和元年11月に「有限会社藤野屋運送」の整備部門「藤野屋運送自動車整備」と販売部門「カーライフサポート藤野屋」を法人化し、「株式会社TGCカーライフサポートFU」としてスタートしました。きっかけとしては運送業が、今後売り上げが伸びにくい事業であることと、また人手不足も深刻な状況であることが大きな理由です。社長は「今後伸びて行く会社を任せたい」という思いがあり、売り上げが伸びている自動車整備・販売部門を受け継ぎました。
――分社化は家業を持続させていくための選択でもあったわけですね。まだ新しい会社を立ち上げたばかりですが、これから挑戦してみたいことはありますか?
社長になったことで、できることはこれまでより広がったと思っています。今まで17年間、ずっと車関係の仕事しかしてこなかったので、これからは車にとどまらず、いろんな分野にチャレンジしていきたいんです。まだまだ地元の魅力やポテンシャルを住んでいる人たちが気づいていないと思うので、“地域のための何か”もしていきたいですね。そのためにはたくさんの人と関わってまだ知らない世界に挑んでいきたいですし、地域貢献という意味では、地域の雇用を生むためにも事業を拡大していきたいと思っています。