「新しい継業」で日本のモノづくりの希望の星に ライフスタイルアクセント株式会社 CEO/山田敏夫さん

「語れるもので日々を豊かに」をミッションに掲げるファッションブランド『ファクトリエ』。代表は、熊本市内で創業101年の老舗婦人服店「マルタ號(ごう)」を家業に持つ山田敏夫さんが務める。その山田さん曰く「新しい継業」と語る、現在の取り組みについて伺った。

日本のモノ作りから一流ブランドを

山田さんが2012年に立ち上げた『ファクトリエ』は、日本国内の優れた技術とモノづくりへの情熱を持つ工場とタッグを組み、“本当に良いもの”を“適正な価格”で提供するファッションブランドだ。

ひと昔前は、日本には高い技術力を持った工場がいくつもあったが、ファストファッションの台頭により、生産拠点が低コストの海外にシフトし、その結果、アパレル品の国産比率が1990年は50.1%だったのに対して、2015年は3%にまで減少してしまった。

2012年、当時29歳だった山田さんは、技術力のある工場がしっかりと売上と利益を確保し、また消費者は本当に質の良いものを手に取れるために、工場と消費者をダイレクトに結びつける取り組みをスタートさせた。

山田さんがこれまでまわった工場の数は600社以上にのぼる。設立後間もないころは、現地に出向いてはタウンページに記載されている工場を上から順に訪ねていったそうだ。今では、工場に足を踏み入れた瞬間にその工場の良し悪しが分かるという、モノづくりにおいてのスペシャリストとなった。

そんな山田さんが『ファクトリエ』の事業コンセプトを思い描いたのは、20歳のころ。きっかけは、大学生時代に留学したフランス・パリで勤めたグッチ・パリ旗艦店の同僚から言われた一言だった。

「日本には本物のブランドがない」

その同僚は、日本には世界から高く評価されている技術力があるにも関わらず、そこから生まれたブランドがひとつもないというのだ。確かに『グッチ』を始めとする世界の5大メゾンは、すべてが工房から生まれたモノづくりブランドである。その言葉が胸に刺さった山田さんは、「モノづくりからしか一流のブランドは生まれない。それが日本にないのであれば、僕が日本のモノづくりから世界に誇れる一流ブランドを作ろう」と決意した。

29歳にしてようやく訪れたベストタイミング

「僕にとってラッキーだったのは、小さいころから実家の店番をしていたこともあって、高品質で仕立ての良いものに触れる機会が多かったことと、いいものは値段に反映されるということを知っていたこと。そして、もう一つは“あなたから買いたい”というのは最強のツールだということを知っていたことですね。周囲にSCができても、実家の店が未だに商売を続けていられるのは、“このお店から買いたい”というお客さんがいるから。この“あなた”や“店”が僕にとっては“工場”なのです。優れた技術を持った工場が作る本当に質の高い服の良さや、それを愛着持って長く着続けられることの喜びを多くの人たちに伝えていきたいと思いました」

大学を卒業後、いくつかの企業で経験を積んだ山田さんは、実家の家業を継ぐのではなく、新たな会社を起業した。それがライフスタイルアクセント株式会社だ。『ファクトリエ』はライフスタイルアクセント株式会社の一事業部である。

「僕にとってはベストタイミングでした。世の中的には、スマートフォンが普及しだして、インターネット環境も整い、誰もがネットで手軽にモノが買えるようになった。これまでは店を構えるには敷金・礼金が必要でしたが、ECサイトさえあればモノが売れる。

またLCCが当たり前のように飛び始めたので、国内の移動にそれほどコストがかからなくなった。僕のように全国各地を飛び歩く人には金銭的にとても楽になりました。

そして、“すべての情報は人を介す”という時代になった。これまで宣伝広告に必要とされてきたメディアがSNSにとって代わり、人から人へ無償で情報がつながる時代になったんです。僕が20歳のころはすべてにおいてハードルが高かったけれど、2012年はそういったハードルが無くなり、あらゆることが変わり始めたときでした」

自分たちはなぜ存在するのか、それをとことん突き詰める

アパレル業界に属してはいるものの、『ファクトリエ』は一般的なアパレル会社とは一線を画す、稀有な存在だ。商品の原価率や価格、生産数量を決めるのは工場であり、商品名には工場の名が付く。そして、商品には工場のこだわりや思いが詰まった手紙が添えられる。あくまでも主役は“工場“だ。

提携工場は、自らのファクトリーブランドを持つことで適正な利益が得られると共に、こだわりを持ってモノづくりに情熱を注ぐことができる。そこで生まれた商品は「メイドインジャパン」として世界に羽ばたき、多くの人が手に取ることができる。そして、持続的に事業が根付くことで、優れた技術力は次世代へと引き継がれていく―――。

山田さんの取り組みは、衰退していく一方の日本のモノづくりに風穴を開け、ひとすじの光を差し込む。

「僕はアパレル業界を変えたいと思ってやってきたわけではなくて、ただ僕らのやっていることが一つの成功体験となったとき、モノを作るすべての人たちにとっての希望の星になれたらいいなと思っています。そこには“ブランド”というものが重要にはなってくるのですが、洋服に限らず、農業でも同じことがいえるかもしれません。

僕らのミッションは“語れるもので日々を豊かに”なのですが、工場にも同じように“語れる商品”を作ってほしい。たとえ、生産ラインをいったん止めてでも、自分たちがやるべきことは何だろうって考えることがとても大事だと思っています」

跡継ぎには自分だからこその提供価値が必要だ

パートナーとして共にモノづくりに携わる工場にも家業を継いだ後継者たちはたくさんいる。山田さんは漠然と不安を抱く後継者たちから相談されることも多いそうだ。

「僕は、跡継ぎには“正しさ”よりも“楽しさ”が必要だといつも言っているのですが、一人の人間に“家業”という運命を押し付けるのは結構つらいことで、そのつらさは周りにも伝わってくるんです。そうならないために、僕はどれだけ多くの人たちを楽しく巻き込めるかが重要だと思っていて、そのためには本気で“自分らしく”あることを考えなくてはだめなんです。勇気はいりますよね。親に理解してもらえなくてがっかりされることもあるでしょうし。でも、自分が自分らしいと思う道を進む勇気を持つことが大事なのです。今は親不孝かもしれないけれど、10年後にはとんでもない親孝行になるかもしれないですからね。

それに跡継ぎって基本的には起業だと思っています。銀行がお金を貸してくれやすいとか、ちょっとだけ有利な起業です。そこに自分らしさをどれだけ加えていけるか。親の時代には正解だったことも時代が変われば違ってくるし、自分だからこその提供価値を与えることが重要です。僕は家業=起業だと思っているので、ゼロから起業することに興味のない人は後継者として向いていないような気がします」

“仕事”とは“私事”。だからこそ、楽しんでやっていきたい。

設立当初はメンズのシャツからスタートした『ファクトリエ』も、今ではレディースからベビーへとジャンルは広がり、つい先日は自然由来100%・完全無添加のヘアケア商品まで手がけた。それも『ファクトリエ』の基本である“語れるもの”を共に作っていける工場があったからこそ、できることだ。常にアンテナを張り、今も工場に出向いては、山田さん自ら“語れるモノづくり“を探究し、挑戦し続けている。

「今までなかったことをやろうとするのは難しいですし、大変です。思考を停止して、誰かがやってきたことをマネしたほうが楽ですよね。でも、僕の場合は、“仕事”は“私事”と考えているので。基本的に僕がやりたいこと、好きな仕事を好きな仲間とやってきているので、365日24時間が楽しいです」

『ファクトリエ』はECサイトでの商品販売が基本だが、本社のある熊本や銀座、名古屋、台湾には、顧客が実物を手に取って品質を確認し、試着もできるフィッティングスペースがある。熊本は実家の店舗「マルタ號」内に設けられているそうで、現在、家業とはビジネスパートナーとして取引を行う間柄だ。

ある人は山田さんの取り組みこそ、「本来の意味で家業であり、家業イノベーションをしている」というそうだが、今後、『ファクトリエ』と家業がどのように融合されていくのか、多くの人たちが山田さんの取り組みに期待を寄せている。