家業イノベーション・ラボに参加している家業イノベーターたちがどのようにプログラムを活用し、実践しているのかを深掘りする「家業イノベーション・メンバーズボイス」。参加のきっかけや初めて参加したプログラムから、印象に残ったプログラムで得た気づき、そして実際に成果を上げるためのポイントまで、皆さんの挑戦をサポートする実践ガイドとしてお届けします。
今回は、小嶋織物株式会社 取締役 デザイン企画室・小嶋 恵理香さんにお話を伺いました。
<プロフィール>
1987年京都府生まれ。大学卒業後、東京のテレビ制作会社でADとして勤務。2012年秋の祖母の葬儀をきっかけに家業へ戻ることを考え、曾祖父が創業した小嶋織物株式会社へ入社した。現在は取締役 デザイン企画室に所属し、広報や商品企画、新ブランド「織彩美-SHIKISAIBI-」の事業責任者を担う。小嶋織物は1932年創立、1961年設立。京都府木津川市を拠点に、天然素材の麻・綿・レーヨン糸などを用い、織物壁紙・織物ふすま紙を製造販売している。近年は、伝統的な織物壁紙にデジタルプリントを掛け合わせ、現代の空間に合う表現の可能性を広げている。
■WEBサイト: https://www.kojima-orimono.com/

外の世界を知らないまま、人生を決めたくなかった。
――――まずは現在の家業について教えてください。
小嶋織物は、京都府木津川市で織物壁紙や織物ふすま紙をつくっている会社です。曾祖父が創業した会社で、私にとっては家業になります。壁紙と聞くと、一般的にはビニール壁紙のイメージが強いと思うのですが、当社は麻や綿、レーヨンなどの糸を使って、“織物”の壁紙をつくっています。素材の質感や光の受け方、空間に貼った時のやわらかさが特徴で、ホテルや美術館などで使っていただくことが多いです。
私は現在、取締役 デザイン企画室に所属し、会社全体のデザインとして組織を考えることと、商品企画や広報、新ブランド「織彩美-SHIKISAIBI-」の事業責任者をしています。「織彩美」は、織物壁紙にデジタルプリントを掛け合わせて、これまでの織物壁紙とはまた違う表現を広げていくブランドです。
織物壁紙は、業界の中でも知っている人が少なくなってきている素材だと感じています。でも、実際に製品に触れてみると、すごく魅力があるんです。だから今は、つくるだけではなく、どう伝えるか、どう現代の空間や暮らしに届けていくかを考えながら仕事をしています。
――大学卒業後は、東京のテレビ制作会社でADとして働かれていたそうですね。なぜテレビ制作の道を選んだのでしょうか?
小さい頃からテレビばかり見ていた、というタイプではなく、勉強をする子どもでした。ただ、中学生くらいの頃に、テレビや漫画など、人を楽しませるものにすごく影響を受けるようになりました。それまであまり関わってこなかった世界だったからこそ、自分にとって生きるパワーのようなものになっていったんです。
大学では、お笑いのサークルや映画をつくるサークルに入っていました。その中で、自分が表舞台に立つよりも、作る側、届ける側にいる方が向いているのかもしれないと思うようになりました。
就職活動の時も、エンタメ関係やテレビ、俳優さんやタレントさんを支える仕事に興味がありました。人を楽しませるものをつくる側に関わってみたい。その思いが、テレビ制作会社への就職につながりました。
――家族には相談せずに就職を決めたと伺いました。当時はどんな思いがありましたか?
親には何も相談せずに決めました。絶対に反対されると思っていたので。
当時は反抗期が長かったこともあり、家族とあまり話していなかったんです。地元の銀行を受けなさいと言われたりもしていましたが、自分の中では、まず外の世界を見てみたい気持ちが強くありました。
木津川市に帰ってくることは、どこかで自分の中にありました。祖父からも昔から「小嶋家の後継ぎやで」と言われていて、ある意味で刷り込まれていた部分もあったと思います。
でも、就職の時に自分と向き合った時、このままずっと他の地域を知らないまま人生を決めてしまうのは怖いと思いました。だから「30歳までは好きにさせてほしい」という気持ちで、東京に出ました。
――当時、家業を継ぐことについてはどう考えていましたか?
家業があることも、自分が長女であることも意識はしていました。でも、家業を継ぐことに対して、私が継ぐという気持ちが強かったわけではありません。私の義務は家業の社長になってくれる夫を探すことだとずっと思っていたので、家業の仕事内容をきちんと理解していたかというと、そうではありませんでした。会社が具体的に何をしているのかも、ちゃんと説明できないくらい知らなかったんです。ただ、いつか木津川市に戻り、小嶋家を繋いでいくという強い思いはありました。だからこそ、外の世界を見ないまま一生を終えることに抵抗がありました。自分の人生として、一度は違う世界に出てみたい。そういう思いが強かったです。
――家業へ戻ることを考え始めたきっかけは何だったのでしょうか?
祖母の葬儀がきっかけでした。でもまず、家業ではなく小嶋家に戻ることですね。祖母が亡くなった2012年の当時、私は東京のテレビ制作会社で働いていて、不規則な生活の中で自分のプライベートを考える余裕もないくらい忙しくしていました。そんな中で葬儀のために帰省し、久しぶりに親族がたくさん集まっている場に立ち会いました。その時に、「この小嶋家を守って繋げていくのは私だ」と感じたんです。
それは、家業に強い興味があったからというよりも、責任や居場所のような感覚でした。自分が小嶋家に生まれて、長女として育ってきたことも含めて、いつか戻ると思っていたのが今だと思いました。
――戻ってきた当初、家業への関心はどのくらいありましたか?
正直、ほとんどありませんでした。むしろ結婚したら、まだ見ぬ夫に家業を任せて、関西のテレビ制作会社で、天職だと思っていたADに戻ろうと思っていました。
婿取りのお見合いを始めた時、自分が家業のことを全然知らないことに、気づきました。
当時は、自分の結婚相手に会社の社長になってもらうような感覚がありました。でも、いろいろな人と会って話す中で、自分が会社のことを説明できないことが、無責任で恥ずかしいと思いました。家業が何をしているのかも、ちゃんと伝えられない。適当なことを言っているなと思いました。そんな状態で、結婚相手はおろか、将来の社長になってくれる相手とマッチングするわけがないですよね。
誰かに託すはずだった家業を、自分で引き受けるまで。
――婚活を通じて、家業との向き合い方が変わっていったんですね。
最初は、将来の夫に家業を継いでもらうという考えしかありませんでした。でも、家業を知り、いろいろな人と会ううちに、「私以上にこの会社のことを考えられる人に出会えるのだろうか」と思うようになりました。まだ見ぬ誰かに期待するよりも、自分がやる方がいいのではないか。そういう自信が少しずつ湧いてきたんです。
もちろん、最初から「私が継ぎます」と迷いなく言えたわけではありません。私自身も思っても見なかった人生設計でしたし、家族や親戚もその道を応援してくれる人は居ませんでした。
――実際に働き始めて、現場で製品に触れてみて、家業の見え方はどう変わりましたか?
毎日製品に触れる中で「こんなすごいものをうちが作っていたんだ」と驚きました。
例えば、美術館やマリオット系列など著名なホテルに採用頂くのは日常でしたし、私が入社してから携わった仕事の一部でも、世界最高峰のラグジュアリーブランドショップや、「星野リゾート 界 ポロト」様のような上質な宿泊施設、「mina perhonen 代官山店」様のように世界観やクラフトマンシップを大切にする空間でも使っていただいています。
それまで私は、テレビ制作の現場で、やりがいがあり刺激的だけれど、いつも慌ただしい日々を送っていました。
一方で、家業の現場には、きっちり検査をして、品質を守り続ける堅実な仕事がありました。最初は「自分はこういう仕事に向いていない」と思いましたが、それを毎日続けている職人さんたちが本当にすごいと改めて尊敬し、誇りに感じました。
織物壁紙は、素材の質感や光の受け方、空間に与える印象がビニール壁紙とは違います。ホテルや美術館などで使われることもあり、高級感や機能性が求められる場所で選ばれています。こんなに魅力のあるものをつくっているのに、その価値が十分に伝わっていない。そう感じたことが、「もっと知ってほしい」という思いにつながっていきました。

▲ 星野リゾート 界 ポロト 様

▲ mina perhonen代官山店 様
――そこから、「つくる」だけでなく「届ける」ことにも、自分の役割を感じるようになったのでしょうか?
そうですね。そこは、テレビ制作の仕事をしていた経験も大きかったと思います。
小嶋織物は、長く下請けとしてものづくりを支えることで業界の信用を得てきた会社です。ブランドさんの名前は表に出るけれど、私たちの名前はなかなか出ない。自分たちが作っているものなのに、誰にも知られていない状況に、だんだん悔しさを感じるようになりました。「どうしたら木津川市の田舎で作られているこの素晴らしいものづくりを知ってもらえるだろう」と思ったんです。
最初は家業に興味がなかったのに、製品に触れるうちに愛着が生まれてきました。そして、私にもできることがあるのではないかと思うようになりました。作ることだけではなく、届けること。伝わる形にすること。そこに自分の役割があるのかもしれないと感じるようになりました。
――ご主人との出会いは、小嶋さんにとってどんな意味がありましたか?
救いになりましたね。当時は、同世代で頑張っている人たちに出会う中で、人生観が変わるくらいの刺激をもらったり夢が広がる反面、「自分は全然頑張れていない」と感じたり、嫉妬や悔しさを感じたりしていました。追いつかないもどかしさに疲れていた時期でもありました。そんな時に、今の夫と出会いました。
私は熱意を持って話すタイプですが、夫はそれを柔らかく受け止めてくれる人です。昔は、一緒に討論できるような相手を求めていたこともありました。でも、夫のように受け止めてくれる存在に、心が救われました。
私が頑張ろうとしていることに対して、「支えるよ」と言ってくれたことも大きかったです。現在は夫も家業に入ってくれていて、仕事も家庭も一緒に支え合う形になっています。
――現在はお子さんが二人いらっしゃって、お母さんでもありますよね。仕事と家庭・子育ての両立については、どう向き合っていますか?
夫も家業に入ってくれているので、家庭とのバランスは取りやすくなっていると思います。
会社は子育て世代にも働きやすい環境で、就業時間の10分後にはみんないなくなっているくらい、残業もほとんどありません。以前は、夜までバリバリ働いている経営者や、飲み会や出張に行っている仲間を羨ましく思うこともありました。でも今は、自分のペースを保つこと、自分と家族の心身のバランスを崩さないことを大切にしています。
私は外に出たいタイプで、夫は家にいたいタイプです。お互いの違いもありながら、今は私が居ない時でも夫が家事育児を問題なくこなしてくれるおかげで、後ろめたくなく出張へも行かせてもらっています。家業をやるからといって、自分のすべてを犠牲にするのではなく、家庭や子育て、自分自身の状態も含めて、続けられる形を探していくことが大事だと感じています。また、家庭を持ったことで、家族がいる社員さんや子育て世代の社員さんも働きやすい会社にしたいという新たな目標が生まれました。
コラボレーションで見えてきた、織物の新しい可能性。
――家業イノベーション・ラボには、どんなきっかけで参加されたのでしょうか?
2021年ごろ、Facebookでアトツギの友人がコミュニティーに参加しているのを見て、「何だろう?」と思ったのがきっかけでした。間口が広そうだったので、とりあえず登録してみました。タイミングが合えばオンラインセミナーに参加したり、同世代のギャザリングに参加したりしていました。
運営の方々が個別にメッセージをくださったり、丁寧にフォローしてくださったりしたことも印象に残っています。オンラインだけでなく、対面でのイベントにも参加する中で、徐々に心が開いていきました。
――2025年に参加した「MONO MAKERS PROGRAM」は、どのようなきっかけで参加されたのでしょうか?
きっかけとして大きかったのは、関西巻取箔工業株式会社 取締役C.O.Oの久保昇平さんと、家業イノベーション・ラボ実行委員でもある事務局の保谷さんの存在でした。
久保さんとは、もともとアトツギの先輩として交流がありました。以前からとてもよくしていただいていたのですが、私にとってはどこか“雲の上の存在”のような方でもありました。
久保さんが「MONO MAKERS PROGRAM」というプログラムに参加され、オランダスタディツアーに参加されていることも知っていました。ただ、最初は自分が参加することとしてはあまり考えられていなくて、どこか他人事だったんです。でも、久保さんがオランダ人デザイナーとの商品開発にチャレンジし始めてから、雰囲気が少し変わったように感じて、その変化がすごく印象に残っていました。
その後、久保さんや保谷さんとご飯をご一緒する機会があり、参加してどうだったのか、オランダでの経験がどんなものだったのかを聞かせてもらいました。話をする中で、保谷さんからも「小嶋さんは何にチャレンジしたいの?」と問いかけてもらったんです。
その問いをきっかけに、少しずつ「私もチャレンジしてみたいのかもしれない」「もしかしたら自分にもできるかもしれない」と思えるようになりました。それまでは自分とは少し距離のあるもののように感じていたのですが、久保さんの変化を近くで見たり、保谷さんに背中を押してもらったりする中で、だんだん“私ごと”になっていった感覚があります。
――プログラムを通じて、オランダ人デザイナーのサミラ・ブーンさんと出会ったのですね。協業を通じて特に印象に残っていることはありますか?
最初のオンラインミーティングの段階から、自分の立場や会社の状況をかなり率直に話せたことが大きかったです。小嶋織物として何ができて、何ができないのか。自分は会社の中でどういう立場にいるのか。
今や過去の小嶋織物の歴史や製品や技術に誇りは持っているけれど、数十年後の将来の不安や、新しい柱をつくっていきたいということや、私が今それを事業化することで会社に認めてもらいたいという個人的な感情も含めて、変に格好つけずに全部話した上で始められたんです。そこが、今回の協業ではとても大きかったと思います。
また、海外のデザイナーさんと個別に契約してプロジェクトを進めること自体が初めてだったので、伴走支援があったことも心強かったです。一から自分たちだけで素晴らしいデザイナーさんと出会うのは難しかったと思いますし、間に入ってくださる方がいたことで、言葉の翻訳だけでなく、考え方の通訳もしてもらえたように感じています。
オランダにはテキスタイルデザイナーの方が多く、織物の基本を理解してくださる方が多い印象がありました。サミラさんも、アムステルダム・スキポール空港の廊下のアートデザインを手がけるようなオランダを代表する著名な方でありながら、良い意味でとてもフラットに向き合ってくださいました。
日本のデザイナーさんとの協業とはまた違う距離感で、1対1で話す中で少しずつ信頼度が増していった感覚があります。アーティストというよりも、デザイナーとして販売も含めてこちらの考えを尊重しながら、可能性を伸ばしてくださる方だと感じました。
――――海外のデザイナーと一緒にものづくりを進める中で、アイデアはどのように具体化していったのでしょうか?
10年ほど前から、自分の中で「いつかこんなことをやってみたい」と溜め続けていたアイデアがいくつかありました。
今回の協業では、それを5〜6個ほど提案させてもらい、サミラさんと一つひとつディスカッションしていきました。サミラさんは、こちらの提案に対して「これはこうだと思う」「こっちはこういう可能性があると思う」と丁寧にフィードバックをくださった上で、最終的にすべての方向性を一緒に吟味してくださいました。その上で最後に、「エリカはどれをやりたい?」と聞いてくださったんです。そこで選んだのが、バーチカルブラインド(たて型ブラインド)でした。
もともとサミラさんには、光をうまく扱いながら、インテリアや空間のデザインをつくる印象がありました。私自身も、インテリアの展開として、窓まわりの装飾やブラインドに挑戦してみたい気持ちがありました。ただ、小嶋織物で織っている生地は幅が1mほどなので、最初はロールブラインドのようなものをイメージすると難しいのではないかと思っていました。
「ブラインドをやってみたいけれど、難しいですよね」と相談したところ、サミラさんから「バーチカルブラインドだったらできるよ」と言っていただいたんです。
――様々なアイデアの中から「バーチカルブラインド」というプロダクトが生まれたのですね。
バーチカルブラインドであれば、生地を縦に使うので横幅の制約を受けにくい。完全に光を遮るものではなく、光を緩和し、光を楽しむものとして捉え直すこともできる。そこに、織物の素材感や、サミラさんが得意とする生地に穴を開けたり、変形させたりするデザインを組み合わせることで、お互いの得意なところを活かせるのではないかと感じました。
今回使ったのは、もともと壁紙用に織っている生地です。小嶋織物では普段、生地の裏に紙を貼って壁紙として仕上げています。服地とも違う、壁紙用の少し特殊な織物です。これまでにも、スポット的にバッグやポーチにしたことはありましたが、今回は織物そのものを空間の中で活用する挑戦でもありました。何十色もある生地の中から、サミラさんに色を選んでもらいました。
オランダに実際に行ってみて、日本にはない色の感覚があると感じました。曇りの日が多いからこそ明るい色を選ぶ、というような、国民性や環境から生まれる配色の違いもあります。日本ではなかなか出てこない色合わせや感覚に触れられたことも、貴重な機会だったと思います。

100年企業へ。織物壁紙を、地域にひらく場所づくり。
――オランダでの経験は、今後の家業やご自身の視点にどのような影響を与えましたか?
一番大きかったのは、「自分たちの地域で、自分たちらしい形で進めばいい」と思えたことです。
オランダはサステナブルやイノベーティブの取り組みが進んでいて、すでに答えが出ている国なのだと思って日本人として劣等感のようなものを持っていました。でも実際に話を聞くと、「答えは出ていない」と言われたんです。それが、私にとってはとても勇気になりました。
オランダの人たちは、自分たちの国の歴史や水との関係、環境を踏まえて、自分たちに合う形を探しながら進化し続けていました。それを見て、私も木津川市でできること、小嶋織物だからできることを考えればいいのだと自信を持って思えるようになりました。
今後は、築90年ほどの母屋を活用して、織物壁紙ミュージアムやカフェ、コミュニティスペースのような場所をつくりたいと考えています。都会にショールームをつくるのではなく、木津川市に来てもらう理由をつくりたい。織物壁紙を知ってもらうだけでなく、地域や文化、ものづくりの背景ごと体感してもらえる場所にしていきたいです。
――家業イノベーション・ラボの特に良いなと感じる部分があれば教えてください。
他のコミュニティとは違う距離感や、アットホームさがあるところです。実行委員(エヌエヌ生命)のお二人が女性ということもあって、話しやすく心を開きやすい雰囲気があると感じています。運営の方々がとても丁寧に関わってくださいますし、事業者同士の関係性にもアットホームさがあります。
ただ「頑張ってください」と事業者の自走だけではなく、必要なタイミングで声をかけてくれたり、背中を押してくれたりする。自分では思いつかなかった機会に出会わせてくれるところも、大きな魅力だと思います。
オランダのデザイナーさんとのコラボレーションも、自分一人ではきっと思いつかなかったですし、そもそもオランダに行くという選択肢も、家業イノベーション・ラボに関わっていなければなかったかもしれません。学びや出会いの機会をつくるだけではなく、その人が一歩踏み出せるように伴走してくれる。そこが、家業イノベーション・ラボのすごく良いところだと感じています。
――これから家業イノベーション・ラボに、どんな人やサポートが増えると嬉しいですか?
正直、この一年は本当にたくさんお世話になったので、「これ以上何かをお願いしたい」と言うのが難しいくらいです。
特にありがたかったのは、一人の後継者としての取り組みを、プロのライターさんやカメラマンさんに取材していただき、記事にしてもらえたことです。自分ではまだ何か大きなことを成し遂げたという感覚はなかったのですが、外の人に言葉にしてもらうことで、自分がやってきたことや考えていることを見つめ直す機会にもなりました。
家業にいると、自分の取り組みがまだ形になっていないように感じたり、社内では当たり前すぎて価値が見えにくくなったりすることがあります。だからこそ、外部の視点で整理してもらえる機会はすごく貴重だと思います。
もし今後さらに増えると嬉しいとしたら、そうした発信や言語化のサポート、事業者同士が互いの挑戦を知る機会があると嬉しいです。あとは、私自身もこれだけお世話になったので、今度は何か返せることがあればいいなと思っています。家業イノベーション・ラボをおすすめすることもそうですし、自分の経験を話すことで、次に参加する方の背中を少しでも押せたら嬉しいです。
——最後に、同じように家業を継ぐ立場の方々へメッセージをお願いします。
家業を継ぐかどうかは、それぞれの人生なので、簡単に「継いだ方がいい」とは言えません。
でも、私は今、家業があって本当に良かったなと思っています。もちろん、一般的な会社員とは違う大変さもあります。家族との関係もありますし、自分の意思だけでは進められないこともあります。私自身も、最初から家業に興味があったわけではありませんでした。
それでも、一度中に入ってみたことで、知らなかった価値や世界に気づくことができました。外から見ていた時にはわからなかった製品のすごさや、職人さんたちの仕事、自分だからこそできる役割も見えてきました。
だから、迷っている方には「一回入ってみてもいいんじゃないかな」と思います。入ってみて違うと思ったら、その時にまた考えればいい。家業イノベーション・ラボのような場も、参加したい時に参加できて、何かを強制される感じはありません。まず登録してみる、話を聞いてみるだけでも、損はないと思います。
家業を継ぐことは、決められた役割をそのまま引き受けることではないと思います。自分の経験や感性を持ち込んで、少しずつ自分なりに更新していくことでもある。私自身もまだその途中ですが、同じように迷っている方にとって、少しでもヒントになれば嬉しいです。

