【家業イノベーション・メンバーズボイス vol.14 関根 俊直さん】圧倒的な当事者意識を持って生きる人生のほうが面白い。10年の迷いを越えて、家業を『自分の人生』へ。

家業イノベーション・ラボに参加している家業イノベーターたちがどのようにプログラムを活用し、実践しているのかを深掘りする「家業イノベーション・メンバーズボイス」。参加のきっかけや初めて参加したプログラムから、印象に残ったプログラムで得た気づき、そして実際に成果を上げるためのポイントまで、皆さんの挑戦をサポートする実践ガイドとしてお届けします。

今回は、セキネシール工業株式会社 代表取締役社長・関根 俊直さんにお話を伺いました。

<プロフィール>
埼玉県比企郡小川町に拠点を構える特殊機能紙メーカー、セキネシール工業株式会社の代表取締役社長。大学卒業後、大手自動車部品メーカーに入社し、約5年間勤務。その後、ビズリーチへ転職し、採用コンサルタントや自社の人事・採用業務を経験した。家業を継ぐかどうか長く悩んだ末、2020年1月にセキネシール工業へ入社。営業、人事、社内DXなどに携わりながら、課長、取締役、副社長を経て代表取締役社長に就任。現在は、既存の自動車向け特殊機能紙に加え、EV領域への展開や製造工程で生まれる廃材を活用したBtoCプロダクトなど、新たな事業づくりにも取り組んでいる。

■WEBサイト: https://sekineseal.co.jp/

「紙漉き」の技術から生まれた、漏れを防ぐ特殊機能紙。

――まず、現在の家業について教えてください。

セキネシール工業は、簡単に言うと「特殊機能紙」をつくっているメーカーです。代表的なものが、自動車のエンジンなどに使われるガスケット材です。部品と部品の間に挟み、オイルやガスなどが漏れるのを防ぐ役割があります。一般的な「紙」と聞くと、水を吸ってしまうイメージがあると思います。でも、僕たちがつくっているのは、多少液体が染み込んでも、反対側まで漏れないような特殊な紙です。

会社のある埼玉県西部の小川町は、昔から和紙づくりが盛んな地域です。紙は繊維と繊維が絡み合ってできていますが、その間にはどうしても細かな隙間が生まれます。そこに加工を施したり、そもそも漏れにくい紙を漉いたりすることで、機能を持たせていく。昔から培われてきた「紙漉き」の技術が、現在のものづくりにもつながっています。

――現在、特に力を入れていることはありますか?

大きく二つあります。

一つは、EVなど次世代の自動車に向けた製品開発です。これまで主力だったエンジン向けの市場は、電気自動車の普及によって縮小していく可能性があります。だからこそ、今ある技術を次の市場でどう生かすのかを考えています。

もう一つが、製造工程で出る廃材を活用したBtoCの商品づくりです。

紙を漉く工程では、繊維やゴム、鉱物などが混ざった泥状の廃材が大量に出ます。これまでは廃棄していたものですが、「これも素材として使えるのではないか」と考え、再び紙にして、ゴミ箱「KAMIKA BIN」などのプロダクトにしています。これまでBtoBが中心だった会社なので、一般のお客様に直接商品を届ける取り組みは新しい挑戦です。

10年続いた霧が、家業に入った瞬間に晴れた。

――関根さんは、もともと家業を継ぐことを決めていたのでしょうか?

実は、父から会社の話を聞くことはほとんどありませんでした。僕は4人兄弟の三男です。ただ、なぜか家族の中では昔から「次はお前だろう」という雰囲気がありました。祖父にも、そんなことを言われた記憶があります。明確に家業を意識したのは、大学2年生の時です。祖父が亡くなり、その葬儀の翌晩に父から「会社を継いでくれないか」と言われました。

当時は特にやりたいこともありませんでしたし、葬儀ではたくさんの人が祖父のことを「あの人はすごかった」と話していました。それを聞いて、自分も死んだ時にそう言ってもらえるような人になりたいと思ったんです。それで、外で修行してから家業に戻ることを前提に、大手の自動車部品メーカーへ入りました。

――ところが、その後、一度は「家業を継がない」という方向にも気持ちが動いたそうですね。

そうですね。最初の会社には「家業を継ぐための修行」という気持ちで入ったのですが、働き始めると価値観の違いにかなり苦しみました。自分は家業を継ぐために学びに来ているつもりで、鼻息荒く入っていった。でも周りには、安定した大企業で長く働くことを望んでいる人もいる。うまく馴染めず、1年目はかなりしんどかったです。

5年間働きましたが、そのうちに「そもそも自動車が好きなわけでもない。このまま家業を継いでいいんだろうか」と思うようになりました。一度、家業を継ぐことをリセットして、自分が本当にやりたいことを探そうと思ったんです。

――その後、ビズリーチへ転職されています。

はい。「自分が好きになれる仕事やサービスを探したい」「もっと成長できる環境に行きたい」と考えて転職しました。ビズリーチでは、採用コンサルタントや人事・採用の仕事を経験しました。目まぐるしく会社が成長していく環境でしたし、そこで「ミッションを掲げ、社会課題に向き合いながら会社をつくる」という考え方にも触れました。

その一方で、母が病気になったり、一度家業に入った兄が1年ほどで辞めたりして、僕自身の中でも家業に対する責任感が再び強くなっていきました。でも、責任感だけで戻ってしまったら、最初の会社にいた時と同じように苦しくなる気がしたんです。そこで、後継者向けのビジネススクールに通ったり、いろいろなアトツギや経営者に話を聞いたりしました。大変そうなんですけど、みんなすごく楽しそうだったんですよね。

「圧倒的な当事者意識を持って生きる人生のほうが、自分には面白いんじゃないか」そう思えるようになって、家業に入ることを決めました。

――実際に入社して、気持ちは変わりましたか?

それまで10年くらい、ずっと霧の中にいるような感覚がありました。継ぐのか、継がないのか。自分は何をしたいのか。でも、2020年に家業へ入った瞬間、その霧が晴れたんです。「ああ、自分はここでやっていくんだ」と。悩んでいた時間が長かったからこそ、自分で選んだという感覚を持てたのかもしれません。

事業を動かす前に、人と向き合う。50人との面談から始めた組織づくり。

――家業に入って、最初に感じた課題は何でしたか?

みんな真面目に働いているんです。でも、組織が縦割りになっていて、部署同士であまりコミュニケーションがない。お互いに陰で不満を言っているような場面もありました。

「一つの目標に向かって、みんなで進む会社にしたい」という思いがありました。入社前から父とは「4年後に継ぐ」という話をしていて、「やりたいことをやっていい」と言ってもらっていました。ただ、新しい事業を始める以前に、人がついてこなければ会社は動かせないと思ったんです。

――そこで社員の皆さんとの面談を始めたそうですね。

前職で人材の仕事をしていたこともあって、人と向き合うことは大事にしたいと思っていました。家業へ入る時、ビズリーチの社長にも相談したのですが、「まず全員と面談したほうがいい」とアドバイスをもらいました。それで、入社後に約50人の社員全員と面談しました。今も半年に一度くらいのペースで続けています。

基本的には、相互理解のための時間です。最初は、その人がどんな人なのか、何が好きなのか、といったことから聞きました。回数を重ねた今は、僕が話を聞くのが7割くらい。「この半年、どんな思いで働いていたのか」「今どんなことを課題に感じているのか」を聞いて、残りの3割で「僕は会社をこうしていきたいと思っているけれど、どう思う?」と話しています。

――そこまで「人」にこだわるのはなぜでしょうか。

結局、製品の裏には絶対に人がいるからです。その人が前を向いていなかったら、良い事業も、良い製品もつくれないと思っています。僕自身、人が変化していくことにもすごく興味があります。入社した時には「特にやりたいことはない」と言っていた人が、数年後には自分のビジョンを語っていたりする。その変化を見るのが面白いんです。人がいなければ、事業もつくれない。だからこそ、まず人と向き合うことを大切にしています。

「世の中に広めてくれて嬉しい」社員の言葉が変えた、社長としての立ち位置。


――関根さんにとって、大きな転機の一つが「アトツギ甲子園」への挑戦だったそうですね。

EV向けの新しい製品について発表しました。

実はその技術開発自体は、僕が家業に入る前から社員が取り組んでいたものです。8年ほど前から開発していて、プロトタイプもあり、良いものだという手応えもあった。だからこそ、最初はアトツギ甲子園に出ることをためらっていました。

「社員がつくったものを、自分の成果のように発表していいんだろうか」「成果を横取りすることにならないか」と思ったんです。それでも、周囲のアトツギ仲間から背中を押してもらいました。応援してもらっているのに、前に出ないほうが恥ずかしいと思って、出場を決めました。

――社員の皆さんの反応はいかがでしたか?

決勝に進むタイミングで、社員から「世の中に広めてくれて嬉しい」と言ってもらったんです。それはすごく大きかったですね。それまで、いろいろな改革を進める中でぶつかることもありましたし、孤独だと感じることもありました。でも、アトツギ甲子園をきっかけに、社員のみんなが「頑張ってください」と応援してくれるようになった。「あ、自分は受け入れてもらえているんだ。同じ仲間なんだ」と思えました。

――社長としての役割についても、考え方が変わりましたか?

変わりました。僕自身が全部を生み出す必要はないんですよね。

社員が頑張っていることを外に伝えたり、そこに光を当てたりすることも、社長の役割だと思うようになりました。社員が何かの大会に出るなら応援に行く。その挑戦をSNSやWEBサイトで発信する。「この会社には、こんなに頑張っている人がいる」と世の中に伝えることも、自分の仕事なんだと思っています。

家業ラボは、「相談できる土台」がある場所。

――家業イノベーション・ラボとの出会いはいつ頃だったのでしょうか?

2019年頃です。まだ家業を継ぐかどうか迷っていた時期で、いろいろな情報を集めたり、後継者向けのイベントに参加したりしていました。そこで家業イノベーション・ラボを知り、「頑張っているアトツギがいるんだな」と思ってコミュニティに入りました。当時は、先を走っているアトツギの話を聞いてみたい、という気持ちが強かったですね。

――印象に残っている言葉や出会いはありますか?

リアルイベントにも何度か参加しました。そこで聞いた「後継者はいろいろな仕事を経験して、それぞれ6割くらいできるようになったほうがいい」という言葉は、今でも残っています。後継者って、営業だけ、人事だけ、製造だけではなくて、会社全体を見なければいけない。その意味でも、いろいろな人や考え方に触れられたことは大きかったと思います。

――2026年10月には、オランダスタディツアーにも参加予定ですね。

はい。少し前までは、自分にはあまり関係ないプログラムだと思っていました。でも、製造廃材を活用したBtoCプロダクトをつくり始めたことで、サステナビリティへの関心が強くなりました。オランダは、そうした考え方が進んでいる国でもあります。

将来的には海外にも展開してみたいと思っているので、今回は特に「海外のお客様の生の声」を持ち帰りたいです。このデザインを良いと思ってもらえるのか。いくらなら買いたいと思うのか。現地で実際の反応を聞いてみたいですね。

――現在、家業ラボにどんな魅力を感じていますか?

一言で言うと、懐が深くて、愛があるところです。

実行委員の皆さんも、「仕事だからやっている」という感じがあまりしないんですよね。何かあればすぐリアクションしてくれたり、展示会に来てくれたり、情報を広めてくれたり。そういう温かさがあります。

僕自身は家業に入ってからフェーズも変わって、会いたい人がいれば直接連絡できるようにもなりました。だからこそ、これから家業に入る人や、まだ悩んでいるアトツギにとって、「相談に乗ってもらえる」「話を聞いてもらえる」という環境があることはすごく大事だと思っています。答えを与えてくれる場所というより、考えるための土台を整えてくれるコミュニティなのかもしれません。

――これからどんな方との出会いや、どんな学び・サポートがあると嬉しいなと思いますか?

今は自分自身のフェーズも少し変わってきていて、家業に入る前のように「アトツギとしてどうしたらいいんだろう」と悩んでいるというよりは、事業をどう成長させていくかに関心が移っています。

なので、これからは自分たちと近い業態、特に素材メーカーや化学メーカーで、事業を大きく伸ばしてきた経営者の方の話を聞いてみたいですね。例えば、売上100億円規模まで成長させた会社が、どんな意思決定をしてきたのか、組織をどうつくってきたのか、そういうリアルな話にはすごく興味があります。

変えるのは手段。残したいのはその奥にある「人の思い」。

――家業では、新しいことに挑戦する一方で、「何を残すのか」を決めることも大切だと思います。関根さんは、何を残していきたいですか?

一番は、人の思いですね。先代の思い、先祖の思い、社員の思い。会社は、いろいろな人の思いを紡ぎながら続いてきたものだと思っています。紙漉きの技術や伝統も、単に昔からあるから残っているわけではない。その時代、その時代で、強い危機感を持って「会社を残したい」「次につなげたい」と考えた人たちがいて、その思いが形になったものが技術や伝統なのだと思います。だから、技術をそのままの形で残すことだけが大切なのではなくて、その奥にある思いをどう次につないでいくかを大切にしたいです。

――一方で、会社はこれからも変えていくのでしょうか?

そこは毎日変えていきたいですね。僕たちは「世界に誇れる特殊な機能紙メーカー」でありたいと思っています。そのためには、変化し続けられる会社でなければいけない。

全部を自分たちだけでやる必要もないと思っています。副業の人が入ってもいいし、外部のプロに協力してもらってもいい。それぞれ得意な人が、得意なところを変えていけばいい。少しずつ、そういうチームができてきています。

――最近は、会社だけでなく地域にも関心が広がっているそうですね。

今、一番面白いと思っているのは、地域を変えていくことかもしれません。会社がある小川町は、人口減少も進んでいます。僕自身、一度町を離れて働いていたので、帰ってくるたびに「あのお店がなくなったな」とか、学校が統合されたなとか、少しずつ町の風景が変わっていく寂しさを感じていました。自分が子どもの頃は、もう少し町に活気があった記憶もあります。

一方で、セキネシール工業はBtoBの会社なので、これまで地域の人と直接接点を持つ機会はあまり多くありませんでした。でも、BtoCの商品づくりを始めたり、工場を地域に開いたりすることで、会社として地域に関われる可能性が見えてきました。

今年度は、地域一体型のオープンファクトリーにも取り組もうとしています。工場を見てもらって、ものづくりを体験してもらう。自社のプロダクトにも触れてもらう。地域の人が「この町にこんな会社があるんだ」と知って、誇りに思ってくれたら嬉しいです。

社員のみんなにも、自分の仕事や会社を家族に自慢してほしい。5年後、10年後には、社員が誇りを持って楽しそうに働いていて、地域の人たちもこの町に誇りを持って楽しそうに暮らしている。そんな状態をつくりたいと思っています。

――今の関根さんにとって、「家業を継ぐ」とはどんなことですか?

僕にとっては、「自分の人生を生きるための土台」であり、「やりたいことを見つけ、実現するためのきっかけ」だと思っています。経営者になると、いろいろな意思決定ができます。事業をつくることも、組織を変えることも、働き方を考えることもできる。

今は3人の子どもを育てているので、子どもとの時間も大切にしています。子どもたちには、いきいきとした人生を歩んでほしい。そのためにも、自分自身が毎日楽しそうに仕事をしている姿を見せたいと思っています。

僕は三男で、昔から兄たちの真似をしながら育ってきました。だから、実はゼロから何かを生み出すよりも、すでにあるものを見て、そこに自分なりのオリジナリティを加えていくほうが得意なのかもしれません。

そう考えると、家業はすごく自分に合っているんですよね。すでに先代たちがつくってくれたものがある。そこに自分なりのものを加えていく。家業をデザインする。そして、その先で地域もデザインしていく。今は、そんなことができたら面白いと思っています。

――最後に、家業を継ぐ立場にある方や、「継ぐかどうか」で迷っている方へ伝えたいことはありますか?

僕は、悩みに悩み抜いたらいいと思っています。自分自身、10年くらい悩みました。霧の中にいるような10年間でした。でも、その時間があったから、家業に入った時に霧が晴れた。だから、悩むこと自体が悪いことではないと思います。その悩みが、後で大きなバネになることもあります。

ただ、一人で悩み続ける必要はありません。いろいろな人に相談したほうがいい。僕も、後継者や経営者にたくさん話を聞きました。でも、最終的な答えは自分の中にあると思っています。

僕は「温故知新」という言葉が好きなのですが、自分自身の過去をもっと知ってみることも大切だと思います。これまで何に心が動いたのか。何を大事にしてきたのか。どんな時に楽しかったのか。人は結局、これまで生きてきた人生の延長線上で、次の選択をしているんだと思います。