ビールを名刺代わりに広がる“家業の可能性” 石見麦酒 工場長/山口厳雄さん

山陰地域で最も人口が少なく、東京からの移動時間距離が全国で最も遠い町として知られる島根県江津市。この街で唯一となるブルワリー『石見麦酒』は、地方創生とともに家業発展へとつなげるビジネスプランで注目を集めた。そこで、工場長である山口厳雄さんにその取り組みについて話をうかがった。

家業の立て直しに費やした10年は取捨選択の連続

『石見麦酒』は、ビールづくりに必要不可欠といわれる高額な「発酵タンク」は使用せず、広さ約9坪の工場で小さな冷蔵庫と特注のビニール袋を用いてオリジナルのクラフトビールを作る。1回に醸造するのは100ℓ~150ℓと少量だが、2015年の創業以来、年間で約30種類、延べにすると約100種類のバリエーション豊かなクラフトビールが誕生している。『石見麦酒』の醸造方式は「石見式醸造法」と呼ばれ、現在、この手法を用いてクラフトビールを作るマイクロブルワリーは国内に30社ほどあるそうだ。

「石見醸造法」を考案し、『石見麦酒』の工場長である山口さんは、広島に拠点を置く家具製造会社の経営者の顔も持つ。山口さんの家業である家具製造会社は、以前は婚礼箪笥の製造を得意としていたが、時代の流れとともに規模は縮小。今は、住宅や店舗のリフォームをはじめ、家具や養蜂箱をオーダーで手掛けるなど、事業内容は大きく変化を遂げた。この先代から続いてきた事業の改革に着手したのも、山口さんである。

信州大学農学部で発酵を専門に学んだ山口さんは、日本酒づくりに興味があったものの、卒業後は大手味噌メーカーに就職。主にインスタント食品の開発などに携わっていたが、家業の業績不振に伴い、代表を務める父の後を29歳で引き継ぐ。

着任早々、山口さんに与えられた使命は傾きつつある家業を立て直すことだった。

会社の要となる部門を伸ばすことだけを考え、採算の取れないものは清算し、効率の悪いことは切り捨てる。そのためにこれまで取引してきた会社との関係を断ち、社員のリストラも断行した。「当時は毎日が取捨選択の連続だった」と山口さんは振り返る。

「家業を継いでからの約10年は本当に苦しかったですね。きれいごとではすまない痛みを伴うこともありましたし、失敗もたくさんしました。代替わりはしましたが、先代の父が口をだしてくるのは、他の後継者の皆さんと同じですし(笑)。一時的に業績が回復しても、これまでと同じことをしていてはまたいつか傾くのは目に見えていますから、いかに立て直していくか。この10年間は家業のことしか考えてこなかったですね」

そんな山口さんに訪れた大きなチャンス。

それは長年の夢だった酒づくりへと一歩近づくものだった。

日本初の醸造法を構築し、家業へとつなげた柔軟な発想力

島根には家業の家具工場があったので足を運ぶ機会も多かった山口さんは、この地で新たな人脈も築いてきた。その中で「人と農と食が繋がった場を作りたい」と願う多田ご夫妻と意気投合し、ご夫妻が応募した江津市のビジネスプランコンテスト「Go-con」にサポーターとして参加することに。「Go-con」は、江津市が地域資源活用や課題解決につながるビジネスを掘り起こし支援するもので、見事に大賞を受賞した多田ご夫妻のレストランで山口さんはある人物と出会う。それが鳥取で自家製天然酵母パンとクラフトビールを作り、カフェを開く「タルマーリー」のオーナー・渡邉格さんだ。渡邉さんのクラフトビールの講演を聞いた山口さんは「面白い!これはひとつのビジネスになる!」と思ったという。

「江津市には酒蔵が当時一軒もなかったので、ここでクラフトビールを作っても誰も反対しないだろうって思ったんです。ただ、家業のこともあるので、何かしら家業とつなぐビジネスにしなければ、会社として示しがつかない。だから、僕はビールを作るシステムそのものを販売しようと思いました。醸造法はオープンにし、醸造に必要となる木製プラントは家業の家具工場で作って販売する。そのほかにビール工場の工事も請け負うし、店舗に必要な家具や内装工事も手掛ける。ビールは家業につなげるための“名刺”のようなものです」

こうして長年抱き続けてきた酒づくりの夢と家業をつなぐビジネスプラン

1.自社オリジナルのビール醸造

2.オーダー対応できる自由度の確保

3.マイクロブルワリーのサポートとコンサルティング

4.設備を含む資材の販売

を思いついた山口さんは、早速、実現に向けて行動を起こした。

発酵の基礎知識はあったものの、ビールづくりは全くの初心者だった山口さん。まずは渡邉さんの元へ足を運び、クラフトビールづくりの基本を学んだ。さらに、国内のクラフトビール醸造家の元を訪ねたり、海外のブルワリーの醸造法を参考に独自の醸造法を構築していく。そして、山口さんが考えたビールと家業をつなぐビジネスプランは、江津市の「Go-con」や山陰合同銀行主催のビジネスコンテストで高く評価され、全国から「日本一低コストの醸造法」として問い合わせが多数寄せられるほど注目を集めた。

自分の強み、家業の強みは何か?

真剣に向き合うことで見えてくる

斬新な醸造法で注目を集める『石見麦酒』だが、もう一つ、世間が関心を持つ理由がある。それは工場を置く地域との関わり方だ。山口さんはビールの味を左右する副原料を、地元の農家から直接仕入れる。取材した時期(6月)は、地元のおじいちゃんやおばあちゃんが採った山椒がたくさん届くそうで、それらを山口さんは言い値で買い取るという。四季折々の副材料を用いた『石見麦酒』のクラフトビールはオリジナル性が高く、そこにまたビジネスの可能性が秘められているのだ。

「ビールは実に多様性のあるお酒で、たった5%の副原料で味が変わるんです。僕はお客様に自分好みのビールを選ぶ楽しさも提供したいので、さまざまな食材と組み合わせたビールを作りたいと思っていました。これは大手のビールメーカーでは決してできない、小ロットでビールを作るマイクロブルワリーだからこそできることですね。

この考え方は家業にも通じることなのですが、僕らが最も得意としているのはオーダーメイド対応なのです。以前は企画製品を作っていたときもありましたが、それだともっと安く請け負う会社が見つかれば、簡単に取引を切られてしまう。だから、もうそういうことはもうやめようとオーダーメイドで請け負う体制に切り替えたんです。

たとえば、僕らは養蜂箱も手がけているのですが、養蜂家によって蜂の種類や蜜の量なども違うので、一つひとつ仕様が異なるオーダーメイドなんです。店舗や住宅のリフォームもオーダーメイドですよね。

一つひとつ個別に対応していくのはとても手間がかかることなので、誰も好んでやりたがる人はいません。でも、誰もやらないことをやっているから、僕らのビジネスは成り立っているといえるかもしれませんね。そこに商機があって、ビジネスの可能性があるんです」

個別オーダーに対応するためには、的確かつ丁寧な営業力は欠かせない。

山口さんは、自社製造のビールをきっかけに飲食店の店舗改装工事はもちろん、副材料を提供する農家の方の住宅リフォーム工事まで請け負う。経営者でありながら、山口さんは究極の営業マンなのだ。そして「何でも商売にしよう」と思う、その柔軟な発想力が家業やクラフトビール工場を発展させる礎となっている。 

「これから家業を継ぐ人に言えることは、家業と真剣に向き合うことが一番大事だということですね。自分の持っている強みや、家業が持っている強みは何か?そこに真剣に向き合わないとだめですね。これまで自身が培ってきた経験もどこかでつながる可能性は必ずあります。ただ、その経験を活かすか、無駄にするかは本人次第なんです。そして、たくさん勉強することですね。僕も渡邉さんの講演を聞いてからビールの勉強を始めました。それこそ5年前はビールの作り方も材料の調達方法も知らなかったですから(笑)」

ビール醸造も家業の家具製造も順調に業績を伸ばしていく中、山口さんが家業を継いだ後も何かと口を出し、ギスギスした関係だった父親との間にも変化が生まれた。

「僕が新規事業を一手に引き受けて、父には収益の安定した会社の経営を任せることにしました。それこそビール製造にも最初は眉をひそめていましたが、今はビールがあることで家業の工場が稼働していることは理解してくれているようで、自分の会社のお中元用にとビールを買ってくれているみたいですね(笑)」

マイクロブルワリーで叶える“大きな夢”

山口さんの次なる展開はマイクロブルワリーで作るワイン販売だ。クラフトビールと同様、一般的な設備費と比べたら破格値の醸造設備で美味しいシードルワイン(リンゴの発泡酒)を作るため、山口さんはすでに動き始めている。

「シードルを作るワイナリーは全国的にも少なくて、中国地方に至っては一つもないんです。法改正も予定されているし、今後は小さなワイナリーが全国的に増えていくと思うので、そこにビジネスチャンスがきっとあると思っています。

でも、ゆくゆくは日本酒を作りたいですね。その夢はずっと変わりません。10年後は日本酒を作っていると勝手に思っています(笑)。そのときは日本酒づくりの概念を変える、新しい手法でやってみたいという気持ちもあります。

僕はモノづくりが好きなんです。モノづくりにはこだわりたいという思いがあったから、今があるのかもしれませんね」