「家業を継ぐ」ことの意味 平和酒造 山本典正さん

平和酒造の若き4代目当主。山本典正さんに会いに和歌山県海南市に向かった。海南市は大阪から特急で1時間ほど、和歌山駅から一駅、海に面した町だ。平和酒造さんへは海南駅から車で約10分。家業を継いで17年。「継ぐ」ということについて山本さんに話を聞いた。

(聞き手: 安倍宏行 ジャーナリスト ”Japan In-depth”編集長)

選択出来ることはすごくうれしい事ですね。」

私がその質問をしたとき、山本さんはそう言った。「選択肢がある」。そう、家業を継ぐということは、そういうことなのだ。

「時はITバブル。堀江さんとか三木谷さんとか、どんどん出てきて。ヒルズ族になってみたいなんてあこがれた時もありました。」山本さんは学生時代をそう懐かしんだ。でも・・・

「自分にはベンチャーなんてやる力もない。お金もない、人脈もない、アイデアもない・・・まぁ、ジャッジするには早すぎたんですが、でも家業はあるな、と。」

そう考えた山本さんは家業に飛び込んだという。そこに何の迷いもなかったのか。

「家を継ぐのはありがたいことだけど、父も50代で元気だし、まだ早いな・・・きっと喧嘩するに違いない。けど、起業するチャンスはないし、仕方ないかな、という感じ。」

やはり躊躇はあったのだ。でもこんなエピソードも話してくれた。

「あれは中学三年の時でした。親父に『お前将来なんになりたいんや?』と聞かれたんですね。それでその時、『自分も酒蔵やる』てゆうたんです。なんでかゆうと、親父とお袋がこどものころから、夜、『きょうのお客さん『また買うたるわ』ゆうてたな〜』、『よかったやん』、みたいな会話が父と母の間に日常的にされてたんですね。そういうのを聞いて、「あ〜ええな〜」思てたんでしょうね。人に喜んでもろて、自分たちも幸せ感じるゆうのが・・・会社を継ぐゆうのが当たり前のように自分の中にあったんやと思います。」

家業に限らないのかもしれないが、父親というものは子供に背中で何かを語りかけているものなのかもしれない。しかし、だ。家業の場合はサラリーマン家庭とは根本的に違う部分がある。それは、生活そのものが絶えず子供の目の前で繰り広げられている、という点だ。お父さんもお母さんも、その一挙手一投足が目の前で繰り広げられている、という状況は家業を営む家庭ならではだろう。しんどさと裏腹に、喜びも悲しみもある意味日常そのものなのだ。

とはいえ、山本さんが家業に戻ったのは弱冠27歳の時。父親にしても息子にしても葛藤はあったろう。父息子の間に軋轢はなかったのだろうか?

山本さんは続けた。「好きな言葉に『代々初代』というのがあるんです。」

どんな意味か?

一代一代の人が初代だという気持ちでやれ、ということです。代々が自分の代で何を成すのか考えればいい、という意味です。自分の代になったら少なくとも自分の好きなようにさせえもらうで、と私も父に言ったんです。」

先代が築き上げたものを破壊し、再構築することが求められるのが家業の発展のためには不可欠ということなのだろうか。それはある意味過酷な運命とも思える。

「自分としては選択したので逆に言うと腹が据わっているとこがあるんです。戻らざるを得ないから戻るという気持ちが強すぎるのであれば、問題なのかなと思います。戻った以上は自分の人生だし、というところがあります。」

そして、山本さんは縮小し続ける日本酒業界に身を投じた。

「日本酒の出荷量は、この45年間で3割になっている。7割吹っ飛んでるんですよ。人が就職して退職するまでが40から45年、7割吹っ飛んでるこの業界で変革を興せるかどうかが大切なんです。」

この時間軸が家業を継ぐものとして重要になってくる、と山本さんは語る。

「上場企業だと定期的に社長変わるシステムじゃないですか。トップが変われば、組織刷新とか新しいものにキャッチアップしていきやすい。でも家業はというと、社長が変わるのは世代交代の時一回きりなんです。今は、そこでイノベーションが行われないで乗り切れる時代ではない。」

40年、45年という時間軸を見据えた経営が大事だと山本さんは言う。

「私は40年後を見ています。新卒を採用するとなると、この会社をちゃんと働いてもらえる会社にしなくていけない。伸びていく産業にしなくてはならない。やらなくてはいけないことが変わってくるのかな。」

実際山本さんは大卒の新人を採用している。この業界では珍しい。だからこそ家業に戻って10数年かけ、酒造りも根本から変えていき、「酒蔵」の価値を見出していったのだ。
大学時代酒を飲まなかった山本さん。しかし今は日本酒に対する考えがガラッと変わったという。

「食と酒が合うと幸福感が1.5倍とか2倍になるとか言われても昔はピンとこなかった。でも家に戻って来て、日本酒の楽しさ・美味しさに気付いたんです。凄い業種に帰ってきた!実は衰退産業ってラッキーだな、と思えるようになってきたんです。発想の転換ですよね。」

「今は転換点にいるのがラッキーだと思えています。時代の追い風も感じている。科学技術の発展があり、社会的な構造変化もある。
日本はこれまで技術立国、産業立国だったが、これからはそれに文化立国がついてくる。」

「日本が成長期の時代は就職先はみな大企業。地方とか中小企業とか伝統産業とかモノ作りとか、みんなネガティブワードでしたよね。「文化」もそう。でも、これからは文化性の高さだと思う。ガラスケースの中に入っていて恐る恐る手を触れる文化ではなくて、身近に楽しんでいく文化になっているのではないか。それが出来るのが「酒蔵」だと思う。」

代々初代

仮に自分が継いだ産業が衰退の中にあっても、それを「浮上させるきっかけ」だとポジティブに考えるのが、2代目3代目の役割なのだ。そう強く感じさせられた1日だった。